あさラジ最後のBIG対談。王貞治ソフトバンクホークス会長。その1
なぜ王貞治しか一本足打法は成功しなかったのか? その理由を王貞治が語る!?
高嶋)覚えていますかね? ONペナントレース日記。
王)そういうの、ありましたね。
高嶋)若造の私が1日おきに、王さん長島さんをおっかけまわして。王さんは1度も、約束を違えたことはなかった。川崎球場5時に! というと必ずいらしてくれた。長嶋さんには何回かスカされたこと、ありましたけど(笑)
王)(笑)
高嶋)そして私が朝番組をやる時に、朝早いのに電話を下さった。大先輩の枇杷阪さんがお願いしたんだろうと思いますけど。本当に、いろいろとお世話になり、ありがとうございました。
王)いやいや、ニッポン放送さんとは付き合いが長いからね。
高嶋)それ以上に長いのが、宮崎キャンプ。60年なんですね。
王)入団してスタートした年から宮崎なんです。他の人以上に宮崎と言うと、特別な想いがあります。
高嶋)いろんな写真が残っております。荒川博コーチの、あれは香楠荘ですか?
王)そうです。よく(バットを)振りました。というか、振らされました(笑)。まあ、でもああいう人がいたからこそ、自分一人ではできない量の練習をやりました。そのおかげで筋力も強くなりました。(打った)ボールのスピードも速くなり、距離も長くなったと思います。
高嶋)モノクロの写真がありますが、ものすごい“迫力”がありますよね。
王)カラーよりもモノクロの方が趣が感じられますよね。
高嶋)王さんの後、“一本足打法”に挑戦した人いっぱいいますけど、王さんだけですよね。モノになったのは。
王)僕は、誰も(一本足打法の)目標がいなかった。僕がやった後は、みんな王のようにホームランを打てるようを目標にやっていた。僕の場合は誰々のようにというのがなかったし、結果をストレートに受け止められたと思うんですよ。他の人は、結果が出ないなぁと言って、途中で辞めちゃう人が多かったと思います。まあ、僕も打てるまで時間がかかりましたし。ある程度は我慢が必要です。だから王のように足をあげればホームランを打てると思って、スタートした人は長続きしなかった。
高嶋)王さんはピッチャーがダメでね。2年間苦労されて。3年目から。荒川博さんとの出会いね。色々なところで“運”というものありましたよね。
王)絶対に“運”っていうのは大事ですよね。自分で引き寄せるといいますけど。振り返ってみて、私は“運”がよかったなと思います。やっぱり人との出会い。川上さんともそう。荒川さん、長嶋さん。金田さんも、それまではライバルでしたが、味方になって色々教わりました。人との出会いとか、そういったことで僕は人一倍、運がよかったと思います。
高嶋)わたしはこれだけは申し上げたいと思っていたんですけどON全盛時代。川上さんのジャイアンツV9の頃って、パ・リーグは非常に低調でね。私は東映フライヤーズだとか、東京オリオンズを担当してましたけど。レフトに入ったホームランが、椅子の席に“カラン、カラン、カラン”って音をたてて落ちてきて。巨人戦だけでしたからね、超満員っていうのは。王さんがパ・リーグへ来られ。ドラフトその他で有力な、有名ないい選手もいっぱい入ってきて。変わりましたよね。(パ・リーグの)野球の熱というのが。
王)そうですね。僕が選手でやっていた頃から打倒ジャイアンツとか。打倒セントラルリーグとか、そういう想いをパシフィックの人が持っているのは感じていました。でも、なかなかその差が埋まらなかった。よく実力のパ、人気のセ。なんて言われました。でも、そのあと北海道へ日本ハムが行ったり、楽天が仙台へ行ったり。やっぱりフランチャイズっていうのが、地元と結びついた形で。セントラルにはないね。日本全国、北海道から九州までっていうね。ここ20年で変わりました。お客さんが入ってくる数も多いし。セントラルはそれほど変わっていないけど、パ・リーグは急成長した感じがします。
高嶋)ことあるごとに、読売の渡辺会長が「1リーグ制にするぞ」って言って、みんなビビっていたんですけど。いまはそんなセリフ、出てこないですよね(笑)
~あしたに続く~
2月26日(月)高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より
高嶋ひでたけのあさラジ!
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