劇的なサヨナラ勝ちを呼んだ明徳義塾・馬淵監督の言葉とは?
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先週金曜日に開幕した、春のセンバツ高校野球。昨日の第1試合で明徳義塾(高知)が中央学院高校(千葉)を劇的な逆転サヨナラ勝ちで破り、明徳義塾の馬淵史郎監督が史上5人目となる「甲子園通算50勝」を達成しました。
1点を追う9回ウラ、明徳はツーアウト・ランナーなし。「千葉の二刀流」こと、中央学院高校の大谷投手の前に、「あと一人でゲームセット」という絶体絶命のピンチを迎えます。しかしそこから、ヒットとデッドボールで、ランナー1・2塁に。
そこで、4番・谷合が振り抜いた打球は、センターバックスクリーンに飛び込む逆転サヨナラ3ラン!!!
その瞬間、両手を突き上げてベンチを飛び出し、両手を上げて喜びを爆発させた馬淵監督。9回の攻撃前、ベンチで選手にこう言って、ハッパをかけたそうです。
「こういう苦しいゲームをひっくり返して勝たないと、優勝戦線には残れん。決勝まで行きたかったら、ひっくり返せ!」
その通りの、劇的な展開になってつかんだ、甲子園50勝目。
「50勝やけど、落とした勝ちもあるし、拾った勝ちもある。野球に負けて、勝負に勝ったゲームもあった。あっという間の50勝……」
そうしみじみ語った、馬淵監督。1990年に明徳義塾の監督に就任してから、30年近くかけて積み上げた50個の白星の中には、1992年、星稜高校・松井秀喜選手を5打席連続で敬遠して、つかんだ勝利もありました。
「高校野球なのに、そこまでして勝ちたいか!」
と批判も浴びたあの作戦で、ヒールのイメージがついたこともありましたが、それもこれも選手たちに「勝つことの難しさと喜び」を教えてあげたかったからです。
プロ野球の監督と違って、高校野球の監督は、どんなに強いチームを作っても、主力メンバーの3年生が卒業していくため、毎年毎年、新たな選手を育て、チームを作り直さなければなりません。そう考えると、この50勝がいかに価値があるかが分かります。
選手との信頼関係が、ことのほか厚いのも明徳義塾の特徴です。去年の11月に行われた、春夏の甲子園と並ぶ、高校野球3大大会の一つ「明治神宮大会」の最中に、こんなことがありました。
馬淵監督のお母さん(95歳)が、大会中に危篤になり、亡くなったのです。しかし、馬淵監督はそのことを一切、選手たちに告げませんでした。
準決勝に勝った後、訃報を聞いた馬淵監督が涙を流しているのを見て、選手たちは「監督、どうしたんだろう?」と思い、人づてにその理由を知って、
「よし、あすの決勝戦は絶対に勝って、監督を男にしよう!」
と誓い合ったのです。そして4対0で快勝し、優勝。
馬淵監督は、お通夜にも告別式にも出席できませんでしたが、母親の墓前に、選手から渡されたウイニングボールを飾ることができました。
夏の甲子園と、神宮大会は優勝していますが、春のセンバツだけはなぜか優勝経験がない馬淵監督。ミラクルが起きた今大会、ついに念願が叶うかもしれません。
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