【大人のMusic Calendar】
70年4月5日はムッシュかまやつ(当時はかまやつひろし)の「どうにかなるさ」のリリース日である。
ザ・スパイダースの最後のシングル盤となった「エレクトリックおばあちゃん」が発売されたのが70年9月25日だったが、その半年前の4月5日にメンバーのヴォーカルを担当するフロントの3名(堺正章、井上順、かまやつひろし)のそれぞれの初ソロ・シングルが発売された。さらに言えば同1月にはリーダーの田辺昭知が歌った唯一のソロ・シングル盤(猪俣公章作の歌謡曲!)も発売されている。3人のソロ・シングルは堺がサトウ・ハチロー/中村八大コンビ作品の「明日を祈る」、井上が安井かずみ/かまやつひろしコンビ作品の「人生はそんなくり返し」、そしてムッシュかまやつの「どうにかなるさ」であった。
それぞれ佳曲であったが、一番売れたのがザ・スパイダース加入後初のソロ・シングルとなったかまやつの「どうにかなるさ」(山上路夫作詞/かまやつひろし作曲)である。ザ・スパイダース以前のソロ歌手時代以来9年ぶりのソロ・シングル盤であった。オリコン・シングルチャートでは最高50位であったがロング・セラーとなってスタンダード化した。ザ・スパイダース時代の最初期の名曲「ノー・ノー・ボーイ」と並ぶザ・スパイダース最後期のかまやつ作品を代表する名曲といえよう。
この歌は実はザ・タイガースのメンバーである岸部修三・岸部シロー兄弟のユニット、サリー&シローのアルバム『トラ70619』(1970年2月発売)へのムッシュの提供曲2曲の内の1曲であった。このアルバムの作詞は全部山上路夫が受け持っていた。かまやつヴァージョンは逸早く2か月後にこの曲をセルフ・カヴァーしたシングル盤と云うことになる。
「どうにかなるさ」は日本のオリジナルのカントリー&ウェスタン・ナンバーとして最高傑作であると各方面から評価されており、高校時代にカントリー&ウェスタン(C&W)に憧れて歌手になったムッシュの面目躍如と言った作品に仕上がっている。歌はサリー&シローのヴァージョンも新鮮で良いが(ザ・タイガースの解散コンサートでも歌われている)、やはりセルフ・カヴァーしたかまやつ本人のC&W唱法がこの曲のイメージにぴったりで素晴らしい。
メロディーはC&Wの大御所ハンク・ウィリアムスの「淋しき口笛」(I Heard That Lonesome Whistle)にインスパイアされたと云われるが確かにコード進行も殆ど同じで、カラオケがあればどちらの歌も歌えるぐらいだ(笑)。ムッシュは更にこの歌の各コーラス終わりにザ・バンドの名曲“The Weight”のコーラス終わりのフレーズの処理の仕方を取り入れており、これが実に恰好よく決まっている。さすがイントロ/コーダや全体のサウンド共々ムッシュらしいロック・センスに溢れた仕上がりになっている。
しかしこの歌を不朽の名曲たらしめているのはやはり山上路夫の詞の素晴らしさであろう。C&Wのエスプリを日本の若者たちの世界に置き換えたかのような詞で、しかも60年代末期の不毛の学園闘争に明け暮れた時代から70年代の夜明けを迎えた虚脱感、時代からのアウトロー的気分が伺える詞が当時の若者たちの共感を呼んだように思える。
「今夜の夜汽車で旅立つ俺だ。あてなどないけどどうにかなるさ」と。
カントリー・ソング、はたまた日本の流行歌にあった股旅物やマドロス歌謡などに一脈通ずる≪さすらい人≫なる男のロマン=男の哀愁=こそがこの歌の魅力だとも云えるのだ。
この曲はザ・スパイダース解散後、ムッシュかまやつのソロ・アルバム第2弾『どうにかなるさ/かまやつひろし・アルバムNo.2』(71年6月発売)に収録されている。
「どうにかなるさ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之&中村俊夫
【著者】本城和治(ほんじょう・まさはる):元フィリップス・レコードプロデューサー。GS最盛期にスパイダース、テンプターズをディレクターとしてレコード制作する一方、フランス・ギャルやウォーカー・ブラザースなどフィリップス/マーキュリーの60'sポップスを日本に根付かせた人物でもある。さらに66年の「バラが咲いた」を始め「また逢う日まで」「メリージェーン」「別れのサンバ」などのヒット曲を立て続けに送り込んだ。