サッカーの本場スペインで指導者になった日本人女性

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サッカーの本場スペインで指導者になった日本人女性
スペインで活躍するサッカー・コーチの佐伯夕利子が、黒木瞳がパーソナリティの番組「あさナビ」(ニッポン放送)に出演。スペインでサッカーの指導者になった動機とその過程を語った。

黒木)今週のゲストはスペインのサッカー指導者として活躍されている、佐伯夕利子さんです。
なぜ、スペインでサッカー指導者となられたのかを聞きたいのですが、イラン生まれなのですね。

佐伯)はい。

黒木)お父様の関係ですよね。イランの首都テヘランでお生まれになったということですが、その後はどのようなところへ行かれたのですか?

佐伯)父の仕事の関係で転勤が小さい頃から多かった。その流れで、私は偶然イランのテヘランで生まれました。その後は日本へ帰って、千葉や福岡へ転勤しました。小学6年生から中学1年生の頃は、台湾の台北でした。スペインのマドリードも、父の転勤で行ったのです。

黒木)そのときが初めてのスペイン。おいくつのときですか?

佐伯)18歳のときです。ちょうど高校を卒業したタイミングで行きました。

黒木)それからスペインにいらっしゃるわけですよね。ご家族は転勤が終わって、東京へ戻られた?

佐伯)3年くらいで父が日本に帰国することが決まったときに「どうする?」と聞かれました。おそらく両親も私が指導者の道を進み始めた頃だったから、中途半端だと思ったのでしょうね。

黒木)スペインに行かれて、18歳で高校を卒業した時点で、もう指導者の学校に行かれたのですか?

佐伯)そうです。18歳で指導者の養成学校に入りました。

黒木)どうして入ろうと思われたのですか?

佐伯)フットボール(サッカー)をしていて、自分でサッカーをやるのも好きですが、これで一生生計を立てていくには、サッカー選手では、当時は道がまったく無かった。
でも、「一生続けられる、サッカーで生計を立てていけるものは何があるか?」を考えたときに、当時は「審判」か「指導者」の2つしか思い浮かばなかった。
そして、審判はちょっと嫌だったから(笑)。指導者になろうかな、という感じでした。25歳くらいまでは選手をやりながら、同時に指導者として育ててもらい、その勉強を同時進行していました。

黒木)鳥肌が立つほどそこにのめり込める、魅力を感じるということですね。
指導者にはライセンスが必要なのですよね?

佐伯)はい。

サッカーの本場スペインで指導者になった日本人女性
佐伯夕利子/スペイン サッカーコーチ

1973年、イラン・テヘラン生まれ。スペイン在住。
父親の仕事の関係で海外を転々。小学2年生からサッカーを始める。
一時サッカーから離れたが、高校卒業後の1992年、スペインに移住したのを機に再びサッカーを始める。1992年から96年まで、スペイン女子リーグに在籍。
1993年、スペインのサッカー指導者学校に入学。スペイン名門チームの下部組織などで主にジュニア・ユース世代の指導を担当。
2003年、スペインサッカー協会のナショナルライセンスを女性で初めて取得。スペインで女性として初めて男子チーム「プエルタ・ボニータ」の監督に就任。
その後も、数々のチームで指導者として活躍。実績を高く評価され、『ニューズウィーク日本版』で『世界が認めた日本人女性100人』にノミネートされる。
2010年からはスペインリーグのトップチーム「ビジャレアル」の女子チームの監督に就任。現在は育成強化責任者としてトップチーム以下の全ての世代の育成強化を担当し、指導現場の傍ら、スペイン遠征やサッカー留学等などコーディネートするスポーツ・ビジネス会社「OFFICE25」を経営。 Jリーグ特任理事にも就任。

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毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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