仕事の連絡方法は電報だった~陣内孝則のロックバンド時代

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俳優の陣内孝則が、黒木瞳がパーソナリティの番組「あさナビ」(ニッポン放送)に出演。デビューはロックバンドのボーカリストとして。そのロックバンドでの下積み時代の話を語った。

黒木)今週のゲストは俳優の陣内孝則さんです。音楽の道を目指して、いくつで上京なさったのですか?

陣内)僕が上京したのは21歳の1980年3月ですね。

黒木)デビューのきっかけは?

陣内)高校時代からライブハウスなどで歌っていました。特に福岡はライブハウスが多くてプロが間近にあったから。「昭和」というライブハウスに出ていて、人気が出たらすぐにデビューできるだろうなと思ってやっていました。偶然、ヤマハのロックコンテストみたいなのがありまして、グランプリを貰いました。

黒木)福岡時代にグランプリをいただいた?

陣内)そうです。上手いバンドはたくさんあったし、歌もうまい人はたくさんいた。でも意外とポップチューンで、速いビートに乗せて、派手な衣装で歌うのが珍しかったのでしょう。
上京して、『イーストウエスト』という大会にゲストで出させて貰ったときにスカウトされて、それでレコードデビューです。

黒木)トントン拍子ですね。

陣内)そうですね。でも、上京していきなり、立川の米軍ハウスに住んだのですよ。一軒家で練習もできるからと事務所が借りたんです。
それがよくなかった! メンバーは仲が良くて、5年間ずっとアマチュアでやっていたのですが、仕事と生活が一緒になると靴や歯ブラシの置き方で頭にくるようになる。分かるでしょう? 電話代とか均等に5等分するけど1人だけやたら長電話するヤツがいたり(笑)。

黒木)それはいさかいになりますね(笑)。

陣内)まずライフラインが止まっていきます。誰も払わないから。水道が止まったことがありました。元栓を針金まわして止めるのですが、針金を解きに行ったりしました(笑)。

黒木)でも、もうデビューしたのでしょう? それで、立川で共同生活をされていた。

陣内)そうです。とはいえ、給料5万円ですから。食べていけるわけがない。それで衣装を買ったりしているわけですから。電報で呼び出されましたよ。「キョウ シゴト ジムショコイ」と電報が来る。

黒木)ウソだぁ、80年代の話ですよね?

陣内)80年代の話ですよ。「21世紀にようこそ!」みたいな感じでしょう(笑)。

黒木)それで活動はどれくらいやっていたのですか?

陣内)1年半で解散しました。でも、その間にアルバムを3枚作ったし、企画アルバムも1枚。それから映画『爆裂都市 BURST CITY』のサントラ盤も僕は関係したから、5枚くらい出していますね。



陣内孝則/俳優

1958年8月12日生まれ。福岡県大川市出身。
1980年、ザ・ロッカーズのボーカリストとしてデビュー。
1982年、映画『爆裂都市BURST CITY』にて俳優デビュー。1987年には、映画『ちょうちん』でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。
1987年に結婚。2人の息子さんの父親。
1989年『極道渡世の素敵な面々』、『疵』で、日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を2年連続受賞。以後 テレビ、映画、舞台等で幅広く活躍。映画監督としても活動。監督作品は『ROCKERS』『スマイル 聖夜の軌跡』『幸福のアリバイ~Picture~』など。

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