陣内孝則が丹波哲郎の演技を救ったアドリブ
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俳優の陣内孝則が、黒木瞳がパーソナリティの番組「あさナビ」(ニッポン放送)に出演。俳優として心得たことを、共演した丹波哲郎とのエピソードとともに語った。
黒木)今週のゲストは俳優の陣内孝則さんです。私が初めて陣内さんをスクリーンで見たのは映画『ちょうちん』でした。あれを見たとき、「この人はいったい何者だろう?」と思いました。あまりにもすばらしくて! 梶間監督のヤクザ映画。サングラスをかけたまま泣くシーンで、サングラスの下から涙がぽろっと出てくる。あれを見たとき「天才だ!」と思いました。
陣内)嫌らしい話ですけど、あれは狙ったんだと思います。
黒木)狙ったとしても、素晴らしかったです。
陣内)ヴィスコンティの映画で『若者のすべて』というのがあります。アラン・ドロンとその彼女がサングラスの下から涙をこぼすのですが、僕にはそれが意外としびれたのですよ。
黒木)それをやってみようと思われた?
陣内)「ああいうシーンをどこかで演じられないかな」と思っていました。
黒木)すてきな話じゃないですか! それと、プロフィールを読むと「同郷なんだ!」と勝手に親近感を持ちまして。その後に、私は陣内さんを俳優だと思っていて。連ドラ『結婚してシマッタ!』でご一緒しましたよね。そこで陣内さんといろいろ芝居をするときに、不思議な間合いみたいなものを感じました。決して自分にはできないもので。それを誰かに話していたら、「ミュージシャンだからじゃない?」と言われて、「なるほど!」と思いました。私、あまり身体にリズム感がないのですよ。
陣内)というか、黒木さんはちゃんと宝塚でお勉強なさっていて。僕はそんなセオリーとか、演劇をちゃんと勉強していないから、いい加減だったのだと思いますよ。
黒木)いや、違うのですよ。音楽をやっていらっしゃる方特有のリズム感が芝居に生かされていて、「音楽をやっていらっしゃる方の芝居はスゴいのだな」と感じたことがありました。
陣内)当時、柔軟性はあったと思います。
黒木)両方(歌手と俳優)ですものね。
陣内)あのドラマのとき、下手に柔軟性を持たない方がいいなと思ったことがあった。黒木さんの父親役で丹波哲郎さんがいましたよね。僕は「小早川」という役でした。
丹波さんが「小早川君、君は何か、僕に聞きたいことがあるんじゃないのかね?」と言う台詞がありました。それが、本番でいきなり丹波さんは「コバヤワ君」と言ったのです。NGにしたくなくて、思わずアドリブで「社長、ワタクシ小早川でございます」と言ったのです。
すると丹波さんが乗っかってしまい、「名前なんてこの際どうでもいい」と言われ、本当は「君は何か僕に聞きたいことが~」なのに、「君の心のなかに、大きなクエスチョンマークがありゃせんか~?」みたいな(笑)。もうノリノリになってしまって、それがOKになって。救った僕の方がドギマギしているんですよ。だから、「下手に柔軟性を生かして相手のミスを救ったりするのはよくないな」と思いました(笑)。
黒木)自分より目立ってしまった?
陣内)やはり「大俳優丹波哲郎恐るべし!」という感じです。
黒木)恐るべしですね。待っている間もいろいろ仰っていましたからね。本当に楽しかったですね。残念ですが、いまいらっしゃらないけれど、きっと向こうからご覧になっていらっしゃるでしょう。
陣内)大霊界の方から、「黒木君もこんな大女優になったか」と言っていますよ(笑)。
黒木)言っていただけるように、私も頑張りたいと思います。
陣内孝則/俳優1958年8月12日生まれ。福岡県大川市出身。
1980年、ザ・ロッカーズのボーカリストとしてデビュー。
1982年、映画『爆裂都市BURST CITY』にて俳優デビュー。1987年には、映画『ちょうちん』でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。
1987年に結婚。2人の息子さんの父親。
1989年『極道渡世の素敵な面々』、『疵』で、日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を2年連続受賞。以後 テレビ、映画、舞台等で幅広く活躍。映画監督としても活動。監督作品は『ROCKERS』『スマイル 聖夜の軌跡』『幸福のアリバイ~Picture~』など。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳