なぜ「背番号27」がキャッチャーのエースナンバーと呼ばれるのか
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は「キャッチャーのエースナンバー」と呼ばれる「背番号27」の名捕手にまつわるエピソードを取り上げる。
「銀仁朗がですね、ジャイアンツの一員となってくれたということで、監督として歓迎と同時に大きな希望と言いましょうか、チームを作る上で、大事な大事なパーツの1人が加わったということに対して、大変喜んでおります」
来季こそ5年ぶりのペナント奪回を目指し、今オフも積極的な補強に乗り出しているジャイアンツ。西武ライオンズからFA宣言していた炭谷銀仁朗を獲得し、原辰徳監督もご満悦ですが、注目は、炭谷に西武時代と同じ「背番号27」を用意したことです。
この「27」を背負った選手には、球史に残る名キャッチャーが多く、別名「捕手のエースナンバー」とも呼ばれています。菅野の背番号を、来季から「18」に変えた原監督。藤田元司→堀内恒夫→桑田真澄→杉内俊哉と、名投手たちによって脈々と受け継がれてきたことで「18」は「エースナンバー」と呼ばれる特別な番号になりました。
同様に「27」がキャッチャーにとって特別な番号になったのは、V9時にずっと正捕手を務めていた森昌彦(現・祇晶)が背負っていた番号だからです。炭谷への期待の高さが窺えますが、これで小林をはじめ、来季から捕手に復帰予定の阿部、「27」を奪われる形になった宇佐見、2年目を迎える大城と、ジャイアンツの捕手は戦国時代に突入。原監督が炭谷に「27」を与えたのは、ライバルのキャッチャーたちを刺激する意味もあるのです。
ところで、「18」が巨人以外でもエースナンバーとして定着したように、他球団でも「森さんのように、チームを何度も優勝に導く名捕手になりたい」と「27」をつけ活躍する捕手が続々と現れたことで、「27」は「キャッチャーの番号」として認知されるようになりました。
「元祖27番」の森が監督を務めた西武では、20年近くにわたって正捕手を務めた伊東勤が「27」をつけ、リーグ優勝14回、日本一8回を経験。日本シリーズでセ・リーグ6球団とすべて対戦した経験を持つのは、伊東だけです。来季から中日の1軍ヘッドコーチを務めますが、正捕手が定まらなかった中日の捕手陣をどう鍛え、与田新監督を支えるのか、注目です。
ヤクルトで言えば、大矢明彦。ショウアップナイター解説者としてもおなじみですが、78年、球団初のリーグ優勝&日本一に貢献。長く正捕手を務めました。その後「27」をつけ、スワローズの黄金期を支えたのが古田敦也です。野村監督時代に4回、若松監督時代に1回、計5回のリーグ優勝に貢献。日本一も4回経験しました。
古田が引退した2007年以降、ヤクルトの「27」は準永久欠番扱いとなり、この番号を継ぐにふさわしい選手が現れるまで、ずっと空き番号になっています。
また中日では、落合博満監督を正捕手として支え続けた谷繁元信(現・ショウアップナイター解説者)が「27」をつけました。02年に横浜からFA移籍した際の背番号は「7」でしたが、落合監督が就任した04年からは監督の意向で「27」に変更。谷繁はその期待に応え、リーグ優勝4回、日本一1回を経験。「27」を背負ったまま兼任監督も務めたのはご存じのとおりです。
現在、中日の「27」は日本ハムからFA移籍して来た大野奨太がつけていますが、移籍1年目の今季は期待に沿えなかった分、来季は奮起を期待したいところです。
このように、数多くの名捕手を輩出してきた「背番号27」。「その番号にふさわしい選手になろう」という決意が、次代の名選手を創るのです。