話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、24日にワールドカップ予選を勝ち抜き、自力では21年ぶりとなるW杯進出を決めた、バスケットボール男子日本代表のエピソードを取り上げる。
日本時間の24日深夜、嬉しいニュースが飛び込んで来ました。バスケットボールW杯・アジア地区2次予選最終節で、「アカツキファイブ」こと男子日本代表は、カタールと敵地で対戦。日本が96-48で勝ってグループリーグ2位となり、念願のW杯出場を決めたのです。
日本は2006年以来のW杯となりますが、このときは開催国枠での出場で、自力で予選を勝ち抜いての出場となると1998年のギリシャ大会以来、実に21年ぶりの快挙となります。司令塔の富樫勇樹は9得点、2アシストと大活躍。
「4連敗しているときは、W杯は考えられなかったこと。今グループ2位通過できたことはすごく自信になる。Bリーグが始まって、個々もレベルアップしてここまで来ることができた」(富樫)
W杯への自力出場は、日本代表としても絶対に成し遂げたい大目標でした。なぜなら、来年行われる東京オリンピックでは、バスケットボールに開催国枠を設けるかどうかは、男女ともまだ検討中だったからです。日本が五輪に出場したのは、76年のモントリオール大会が最後。この男子代表の不振が、開催国枠がすんなり認められない大きな原因でした。
3月に出場の可否が判断される見通しですが、今回の自力によるW杯予選突破は、44年ぶりとなる五輪出場の大きな後押しになりそうです。
「苦しい時を乗り越えて、今率直にうれしい。日本一丸として、試合を重ねるにつれてチームも成長できた。代表が強くなることでBリーグも盛り上げていきたい」(日本代表主将・篠山竜青)
このW杯アジア地区予選、日本は1次予選の段階で、開幕から4連敗。もう1戦も落とせない状況で、2人の救世主が現れました。アメリカの強豪・ゴンザガ大学でプレーし、6月に行われるNBAのドラフトでも上位指名が確実と言われる八村塁と、日本への帰化申請が認められたBリーグ屈指の実力者、ニック・ファジーカスです。
第5戦、勝ち目は薄いと思われていた強敵・オーストラリア戦でしたが、急きょ招集されたこの2人の出場で流れは変わりました。ファジーカスが25点、八村が24点を叩き出し、なんと79-78の1点差勝利! まさかのジャイアントキリングを起こしたのです。
ここから日本の怒濤の連勝がスタート。6戦目のチャイニーズ・タイペイ戦に勝って、首の皮1枚で1次予選を突破。2次予選も、ファジーカスが故障離脱したり、八村が大学リーグ出場のため米国に戻ったりと、厳しい戦いが続きましたが、イラン・カザフスタン・カタールとのホーム&アウエー6試合に全勝。みごとW杯行きの切符をつかんだのです。
1戦も落とせない状況が続くなか、怒濤の8連勝でW杯行きを決めたのは、八村らの活躍に刺激されたエース・比江島慎ら国内組の働きも大きく、これはやはり選手たちが言うように「Bリーグ効果」でしょう。
思えば5年前、男子の国内リーグ分裂問題などを理由に、FIBA(国際バスケットボール連盟)から無期限の資格停止処分を受けた日本。その危機を収拾したのが、サッカーJリーグの初代チェアマン・川淵三郎氏でした。
日本バスケットボール協会会長に就任すると、国内リーグを一本化し、Bリーグを創設。2015年に制裁解除を勝ち取り、組織の建て直しに成功。現在は会長職を元バレーボール女子日本代表の三屋裕子氏に譲り、エグゼクティブアドバイザーを務めています。
川淵氏にとっても、このW杯出場は非常に感慨深いものがありました。なぜなら、この2次予選最終節、日本が戦ったのはカタールのドーハだったからです。そう、1993年、サッカー日本代表がW杯最終予選でロスタイムに失点し、W杯出場を逃してしまった「ドーハの悲劇」の舞台。そして、今年1月に行われたサッカー・アジアカップ決勝で、日本代表が苦杯をなめたのもカタールでした。
「本当によかった。途中はどうなるかと思うことばかりだったが、よくぞここまで来てくれた」「ドーハは、私にとってどうしても『ドーハの悲劇』を思い出してしまう場所。今回、バスケットボール日本代表が、『ドーハの歓喜』に塗り替えてくれた」(川淵氏)
実は、選手の間からも「サッカーのリベンジをしよう!」という声が上がっていたそうです。日本のバスケ熱、ひいてはBリーグを盛り上げることを目標に、アカツキファイブのメンバーは、中国で行われるW杯に臨みます。