話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、7月10日の阪神戦に勝って3連勝。独走で前半戦を締めくくった巨人が、2008年に成し遂げた「メークレジェンド」のエピソードを取り上げる。
「3連勝すればありがたいなというところはありましたけど、うまい具合に行きました」(原監督)
10日に甲子園球場で行われた伝統の一戦・阪神-巨人戦。ペナントレース前半戦を締めくくる3連戦、首位・巨人を追う阪神としては、ゲーム差を少しでも縮めておきたいところでしたが、第1戦・2戦と連敗。ゲーム差は8.5に拡がってしまいました。
これ以上負けられない阪神と、球宴前に極力、2位以下を引き離しておきたい巨人。ともに必勝を期して臨んだ第3戦、ゲームの主導権を握ったのは巨人でした。
初回、3番・丸が、阪神先発・メッセンジャーから右翼ポール際に運ぶ16号ソロ本塁打で先制。さらに2回には、8番・炭谷、2番・坂本勇のタイムリーで3点を追加し、序盤で4-0とリードを拡げます。
投げては、先発・今村が6安打を浴びながら、6回途中まで1失点の好投を披露。
「ツイてましたよ、わが軍はね。わが軍がツイてたのか、今村がツイてたのか(笑)。1点で抑えたのはある意味、奇跡みたいなところはあったと思います」(原監督)
その“奇跡”を演出したのが、右翼を守っていた亀井でした。6回、阪神先頭の糸井がライト前にヒットを放ちますが、亀井は捕球した瞬間、糸井がオーバーランしているのを見逃しませんでした。すかさず一塁へ送球し、糸井はタッチアウト。今村を救いました。
「(糸井に)多少スキもあったんでしょう。亀ちゃんが見逃さなかった。みごとです!」(原監督)
あとは、日本ハムから移籍して来たばかりの鍵谷から、田口、澤村とつなぎ、最後は中川が締めて、4-1で逃げ切った巨人。交流戦明けの11試合を10勝1敗という圧倒的な強さで、前半戦を終えました。
ここまで80試合の成績は、48勝31敗1分け、貯金17。同率2位で並ぶ阪神とDeNAに9.5ゲーム差をつけ、早ければ7月18日にも優勝マジック(M48か49)が点灯します。
ここまでの独走態勢を築けたのは、戦力層の厚さはもちろんですが、その豊富な手駒を巧みに使い分けた、原監督の選手起用術に依るところも大きいでしょう。
また、リーグ4連覇を狙う広島が、5月に月間20勝を挙げ独走するかと思いきや、交流戦から突然失速。前半戦を終えて、1分けを挟んで10連敗中と沈んで行ったことも一因です。
早くも5年ぶりのV奪回が視界に入って来ましたが、原監督は一切、緩める気配を見せません。「ここまでは非常にうまく行った」と前半戦を総括しつつ、こんなコメントを残しました。
「逆にね、後半戦が我々は怖いですよ。逆に気が引き締まる思いですね」
原監督がそう語るのには、理由があります。いまから11年前の2008年、巨人は当時も原監督が指揮を執っていましたが、開幕5連敗とつまずき、スタートダッシュに失敗。7月9日の時点で、セ・リーグ上位はこんな状態でした。
(1)阪神 51勝23敗1分 .689(貯金28)
(2)中日 38勝36敗3分 .514(貯金2)
(3)巨人 39勝37敗2分 .513(貯金2)
巨人は当時、勝率5割近辺で、2位・中日とゲーム差なしの3位でしたが、岡田監督率いる阪神は貯金28と、今年(2019年)の巨人をさらに上回る勢いで首位を独走。この時点で阪神と巨人のゲーム差は、実に13ゲームもあったのです。
7月22日には、阪神に早くも優勝マジック46が点灯。優勝がちらつき始めたころにやって来たのが、8月の北京オリンピックでした。各球団とも、主力選手数名がレギュラーシーズンを抜けて日本代表に参加することになり、阪神は主軸打者の新井と、正捕手の矢野(現監督)、守護神・藤川の3選手を派遣。
巨人も、上原と阿部の2人を送り出しましたが、抜けた穴は阪神の方が大きく、新井に至っては、五輪中に腰の状態が悪化。これも一因となって、阪神は徐々に貯金を減らして行きました。対して巨人は、9月に入ると12連勝を記録。9月21日には、勝率はまだ阪神が上でしたが、ついにゲーム差なしで並びます。
その後もしばらく両者のデッドヒートは続きましたが、10月8日の直接対決で巨人が勝利。マジック2が点灯した巨人は、10日に奇跡の逆転優勝を成し遂げました。最大13ゲーム差を跳ね返したこの大逆転劇は、96年、11.5ゲーム差を逆転した長嶋巨人の「メークドラマ」を上回る「メークレジェンド」と呼ばれました。
このとき、逆転した側の指揮官だったからこそ、原監督は「9.5ゲーム差は、決してセーフティリードではない」と思っているのです。果たして11年前のように、いまの巨人を追い上げるチームは現れるのか? ペナントレースを面白くする意味でも、球宴明け、他5球団の奮起を期待したいところです。