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1984年7月16日、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。
この曲はもともと、イタリアの男性シンガー・ガゼボが歌った「I Like Chopin」が原曲で、これに松任谷由実が日本語詞を乗せ、小林の歌唱で歌われたものである。
70年代後半に起こった全世界的なディスコ・ブームの影響で、発火点のアメリカのみならずフランス、イタリア、北欧などの欧州系ディスコが次々と大ヒットを飛ばしてきた。中でもイタリア系のディスコ・アンセムは80年代に入って大流行となり、「イタロ・ディスコ」の呼び名で人気を博した。イタロ・ディスコは艶っぽく、メロディアスで、メランコリック、という一大特徴があり、要は今で言う「美メロ」の宝庫なのである。その先陣を切ってのヒットの1つがこの「I Like Chopin」だった。作詞のパウロ・マッツォリーニはガゼボの本名。繊細で叙情的なメロディーではあるが、これもイタロ・ディスコの範疇に属する。本国では1983年に発売され、同年の年間チャート2位という記録を残している。日本では一発屋のように思われているガゼボだが、本国では大人気のアーティストで、82年のデビュー曲「Masterpiece」もヒットし、2作目の「I Like Chopin」以降も、「Lunatic」などのイタロ・ディスコでヒットを飛ばしており、現在でも本国では第一線で活躍中。
この曲を日本語カヴァーした小林麻美は、70年にライオン歯磨のCMで鮮烈に登場し、72年には「初恋のメロディー」で歌手デビュー。だが、アイドルとしての活動は短く、73年4月の3作目「恋のレッスン」以降、諸事情により1年半の休業。74年10月に「ある事情」で大人の雰囲気を漂わせカムバックを果たすが、76年2月の「夢のあとさき」を最後に、シングル発売はなかった。「雨音はショパンの調べ」は実に8年ぶりのリリースだったのである。
その間はファッションモデルとしての活動が中心であった。77年のパルコのCMに登場した際は、そのスレンダーなスタイルと、アンニュイで暗いムードが「淫靡と退廃」というCMのテーマと合致し、アイドル歌手時代にはマイナスだった彼女の個性は、先端の雰囲気をもって受け入れられたのである。80年には女優として角川映画『野獣死すべし』で松田優作と共演し、その退廃的な美貌が多くの男性ファンの心を掴んだ。続いて81年には松竹のサイコサスペンス映画『真夜中の招待状』に主演、全編出ずっぱりで、劇中で次々と着替え、タオルを胸に巻いた姿でバックギャモンをやるシーンなどもあり、さながら「小林麻美ファッションショー」的な映画に仕上がっている。
こうしてモデル・女優としての活動、あるいは幾多のおしゃれ系CMへの出演、女性誌への頻繁な登場の結果、小林麻美は時代の先端を行く女性として、熱い注目を浴び始めていた。そこへ来ての「雨音はショパンの調べ」リリースである。発売は84年の4月21日。
日本語詞を手がけた松任谷由実は、プライベートでも小林麻美と仲が良く、「この曲を歌ってみては?」と小林に進言したのはユーミンだったそう。「セリフを囁くように歌うと良さが出る」と言われ、歌にコンプレックスのあった小林も安心してレコーディングに臨んだという。けだるくメランコリックな内容はまさに我々が思う小林麻美のイメージ通りで、その親交の深さから小林の個性や持ち味を把握していたことが伺える話だ。中でもキラー・ワードといえるのが、歌詞1番の最後を締めくくる「気休めは麻薬」というフレーズだろう。この箇所はNHKの放送コードに引っかかったそうだが、全体としては「ショパンが好きだった彼女のことを、雨の日になると思い出す」というガゼボの原曲の詞に忠実で、主人公が女性に入れ替わっている。このヒロインの繊細でアンニュイなムードが、ユーミンの詞と小林の線の細い歌唱で、見事に体現されているのだ。
新川博のアレンジも原曲を超える丁寧で凝ったもの。打ち込みのサウンドが次第に定着し始めたこの時期、敢えてオーガニック感を残したまま神秘的でメランコリックな音作りを施している。新川はハイ・ファイ・セットのバック・バンドを経て、ちょうどこの「雨音はショパンの調べ」直前まで、ユーミンのステージでキーボード奏者として活動していた。現在もユーミン・バンドのバンマスとして活躍する武部聡志と並んで、ツイン・キーボード体制だったのである。新川は同時期に中原めいこのアレンジャーとして腕を奮い、一方では本田美奈子「1986年のマリリン」のように、PWL系ユーロビートの歌謡化にも長け、菊池桃子率いるラ・ムーのアレンジでも和製AORサウンドを試みている。
「雨音はショパンの調べ」の歌手クレジットは「小林麻美with C-Point」と記載されているが、このC-Point(Crossing Point)とは川端康仁、百田忠正、恒見コウヘイによるコーラス・グループで、80年にPIEというグループ名でトーラスから「1978」でデビュー。その後81年にソニーへ移りC-Pointと名乗り、「少年の夢」で再デビュー。佐野元春、伊藤銀次のプロデュースでシングル「We Can Love」とアルバム「High Turn」を発表した。「ショパン」ではコーラスを手がけているが、その後もばんばひろふみや上田正樹らのバックでコーラスを担当し、84年に解散している。
「雨音はショパンの調べ」は有線放送を中心に注目され、オリコンでは週間1位を3週続けたほか、年間チャートでも12位にランクインする大ヒットとなった。同年8月には「ショパン」をフィーチャーしたアルバム『CRYPTOGRAPH~愛の暗号』を発売。85年の『ANTHURIUM~媚薬』、87年の『GREY』とリリースされた3枚のアルバムは、いずれもユーミンが楽曲提供に大きく関わっており、あまり歌手活動には積極的でなかった小林麻美を、背後からサポートする形となっている。また、小林麻美への提供曲は、ユーミン自身ではあまり歌うことのない、エロティックで扇情的な、アダルトムードの楽曲が多い。ひと夏のアバンチュールを歌うラテン調の「恋なんてかんたん」や、Piero Cassanoの「MON ARREN DERTI MAI」に日本語詞をつけたカヴァー「愛のプロフェッサー」、そして「カマンベールを口移し」という強力なフレーズが耳に残る「ルームサービス」などなど。実際、ユーミン自身が歌った楽曲の中でも際立ってエロス度の高い「TYPHOON」を小林がカヴァーしていることからも、どういう線を狙っているのかがよくわかる。特に3作目の『GREY』はほぼ全曲ユーミンが楽曲提供(編曲は後藤次利)した、知られざる名曲の宝庫で、同盤収録のうち「遠くからHAPPY BIRTHDAY」はその後「HAPPY BIRTHDAY TO YOU~ヴィーナスの誕生」として歌詞を変えてセルフ・カヴァーされ、アルバム『DAWN PURPLE』に収録。表題曲「GREY」も、30年の時を経て2017年のアルバム『宇宙図書館』に収録された。
「雨音はショパンの調べ」はこれだけの大ヒットになっていながら、テレビの歌番組などで同曲を披露する機会は一度もなかった。だが、88年に行われた唯一の日本武道館公演では、オープニングでこの曲を歌っている。ステージはユーミンが演出を担当し、難破船や大ダコが出てくる幻想的な舞台装置の中、小林は現実と空想世界を行き来する人魚姫、という設定で、満員の観衆を沸かせた。
小林麻美は91年の結婚後、引退し表舞台に立つことはなかったが、近年、「レジェンド級のおしゃれ女性」として女性誌に登場し、話題を呼んだ。
小林麻美「雨音はショパンの調べ」『GREY』ガゼボ「I Like Chopin」C-Point「少年の夢」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
ソニーミュージック 小林麻美公式サイトはこちら>
http://www.sonymusic.co.jp/artist/AsamiKobayashi/
【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。