番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは、スペシャル企画「この曲に出会って、よかったね きっと私」にちなみまして、今年(2019年)デビュー35周年を迎えた渡辺美里さんに、そのエネルギッシュな活動の原点でもある「夏の西武球場(西武ドーム)ライブ」にまつわるエピソードを伺いました。
20年も続いた理由は? なぜ西武球場だったんでしょうか? いまでも印象に残っているシーンなど、美里さんご本人にお話を伺って来ました。
1985年、18歳でメジャーデビューした渡辺美里さん。いまでこそ、ロックが歌える10代の女性ボーカリストは珍しくありませんが、当時はまだ貴重な存在でした。
そんなデビュー間もない美里さんのもとに「西武球場でワンマンライブをやってみませんか?」という話が舞い込みます。「オールナイトニッポンSUPERフェス」というイベントを毎年西武球場で開催していた、ニッポン放送事業部からのオファーでした。
「その話を最初に聞いたのは、担当していたラジオ番組のハガキを選んでいるときでした。ハガキを読みながら『ウンウン、やってみる!』って言ったのを覚えてます」
こうして、デビュー2年目の86年夏、最初の西武球場ライブが行われることになりました。女性ソロシンガーがスタジアムで単独ライブを行うのは日本初でしたが、美里さんはこの年、『My Revolution』が初のチャート1位になったばかり。アルバムも1枚しか出していませんでした。
「いま考えると、デビューしたばかりの私によく声を掛けてくださったなって思います」
美里さんはデビュー直後、国立競技場で行われた音楽フェスに参加したことがあり、大観衆の前でも物怖じせずパワフルなステージを披露。そんなことも、この異例のオファーにつながったようです。
いっぽう美里さんも、1人でスタジアムライブをやる不安より、まだ誰もやっていないことにチャレンジする喜びの方が勝りました。美里さんは期待に違わぬ熱いパフォーマンスを見せ、西武球場ライブは大成功。「また来年もやろう!」という声が起こり、「渡辺美里・西武球場ライブ」は夏の風物詩になって行ったのです。
定着するきっかけになったのが、4年目の1989年でした。この年は公演が2日間行われましたが、2日目、雷を伴う豪雨がまだ屋根のなかった西武球場を襲い、これからというところで安全のためライブは途中で中止に。美里さんは泣きながら、こう叫びました。
「青春のバカヤロー!! 雨のバカー!!」
なぜ「青春」だったのか、美里さんは言います。「歌いたい曲がいっぱいあったのに、というやり場のない怒りがあって、こんなことって青春映画でしか起こらないなと思って、そう叫んだんです」。
バックバンドのメンバーが退場したあと、どうしても気持ちが収まらなかった美里さんは、再び1人でステージに現れ、アカペラで『My Revolution』を歌い始めました。ずぶ濡れになったファンも一緒に歌いだし、このときのライブは「伝説」になったのです。
「同じ困難に立ち向かうと、絆はより深くなるんですね。それを実感しました」
こうして毎年夏に公演を重ねて行くうちに、美里さんはあることに気付きます。
「私、結構目がいいんですけど、Tシャツにジーンズ姿で来ていたファンの男の子たちが、何年かすると、自分そっくりな子どもを肩車してライブに来てくれるようになったんです」
やがて託児所やファミリー席も設けられ、その子たちも成長して美里ファンになる……まさにファンとともに歴史を創って行った美里さん。途中、西武球場はドーム球場になりましたが、2005年に一区切り付けるまで、20年連続で西武スタジアムでのライブは続きました。
「違う引き出しも開けてみたくなったんです」と言う美里さん。2006年からは形を変えて、様々な都市で「美里祭り」を開催。それも今年で14年目になりました。今年、デビュー35周年記念に「ファンが選ぶ西武スタジアムライブの名シーン」という投票企画が行われましたが、美里さん自身は「あれが名場面」と決めないようにしているそうです。その理由は…。
「西武スタジアムでのライブは、毎年毎年とても濃厚でしたし、その瞬間瞬間を目いっぱい、一所懸命頑張って来た……その積み重ねがあって、いまがあると思っていますから」
八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50
番組情報
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