女子だけの野球チーム「千葉マリンスターズ」~全国制覇までの軌跡

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

最近、野球部に入る男子が減っている、という話をよく聞きますが、対照的に増えているのが「ソフトボールじゃなく、野球をやりたい!」という女の子。

全国に女子野球チームも増えていますが、きょうは自分の手で地元・千葉に軟式野球の女子チームを作り、全国制覇を果たした女性のストーリーです。野球への情熱は、どこから来ているのでしょうか?

女子だけの野球チーム「千葉マリンスターズ」~全国制覇までの軌跡

千葉マリンスターズ 最初の全国制覇(2008年)のパネル

プロ野球・千葉ロッテマリーンズのホームであり、習志野高校など強豪校も多く、野球が盛んな千葉県。2001年、船橋市で「野球は、男子だけのものじゃない!」と、女子選手だけの軟式野球チーム「千葉マリンスターズ」を結成したのが、飯沼樹里さん・39歳です。

小学生のとき、父・保(たもつ)さんが代表を務める少年野球チームに入り、男の子に交じって野球を始めた樹里さん。男子顔負けのプレーで頑張りましたが、体格の差はどうしようもありませんでした。

「中学・高校は、女子野球部がなかったので、ソフトボールをやっていたんですが、女子だけで野球がやってみたいとずっと思っていました」

高校生のとき、樹里さんは一般と大学の日本一のチームが千葉で戦う、女子野球の日本一決定戦「ジャパンカップ」を観て感激。そのとき出場していた金沢学院大学に入ろうと決意しました。大学ではキャプテンとして活躍し、4年間、野球漬けの日々を過ごした樹里さん。

「卒業して先生になったんですが、どうしても野球を続けたくて、父とママさんソフトの選手だった母に、ソフト部時代の仲間も集めてマリンスターズを立ち上げたんです」

最初のうちは身内だけでしたが、だんだん女子野球の経験者も集まるようになり、関東大会で優勝。全日本選手権に駒を進めるようになりました。

「でも、ベスト4や準優勝までは行けるんですが、なかなか日本一になれなくて……」

その壁を乗り越えるために、練習が終わった後も、樹里さんの家に集まってご飯を食べながら反省会を行ったり、みんなで車に乗って、ライバルチームがいる関西地方や愛知県への遠征を重ねたり……。選手同士の絆も深まって行き、2008年、マリンスターズは全日本選手権の決勝に進出します。

相手は、前の年も決勝で対戦し敗れた「オール兵庫」。試合は0対0のまま、最終回でも決着が付かず、ワンアウト満塁から始まる特別延長に突入します。

「打席に立った選手が泣いていたんです。『打てなかったらどうしよう』って。『大丈夫だよ』と声を掛けました」と言う樹里さん。落ち着きを取り戻したその選手と、樹里さんが連続で得点を挙げ、相手の攻撃を0点に抑えて2対0でマリンスターズは勝利。ついに悲願の全国制覇を果たしました。

この年、公式戦は負け知らず。主な大会をすべて制し、5冠を達成しましたが、この快挙を知った地元の女子中学生たちが「私もマリンスターズで野球をやりたい!」と、入団を希望するようになりました。代表の父・保さんが「中学生だけのチームも作らないか?」と樹里さんに提案したのは、その頃です。

「私、父と大ゲンカしたんです。誰が指導するの? そこに力を注いでチームが弱くなったら本末転倒じゃない!って」

ところが、長年少年野球を指導しているコーチが助っ人を買って出てくれ、チームを作ってみると、樹里さん自身も教えることの楽しさにあらためて気付きました。

「自分が教えた子が、できなかったプレーができるようになると、すごく嬉しいですね。いまとなっては『マリンスターズヤング』を作ろうと言ってくれた父に感謝です」

ヤングの選手が、高校生になるとマリンスターズに入り、チームを活性化する理想的な流れもでき、2014年にはマリンスターズとヤングが、ともに全国制覇を果たすという快挙も達成しました。

樹里さんはいつもこう言っています。「教えてくれる人がいて、大会があって、グラウンドがあるのは当たり前じゃないんだよ。『全力・仲間・感謝』……この3つの言葉を忘れないようにしようね、って」。

八木亜希子 LOVE&MELODY
FM93AM1242ニッポン放送 土曜 8:00-10:50

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