全て手作業! 地元の人も驚く、美しい棚田を守るためには
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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
傾斜がきつく、平らな耕作地がとれない土地で、小さな田んぼを階段状にいくつも作って行ってできたのが「棚田」。きょうは、その棚田を1人で耕し続けて来た人と、それを支える町の人たちのストーリーをご紹介します。棚田を残して来た原動力とは何だったのでしょうか?
豊かな田園風景が残る、岩手県一関市・舞川。この町に、昔ながらの美しい棚田がたくさん残っている「金山棚田」と呼ばれる場所があります。
いまは展望台も作られ、町の観光名所にもなっている金山棚田。ここで50年以上もお米を作り続けているのが、棚田の所有者・金山孝喜さん・81歳。
「ここはうちの親父が、戦前に地主さんから分けてもらった田んぼなんだ」と言う金山さん。起源は、江戸時代にさかのぼるというこの棚田。傾斜のある土地を埋め尽くすように、畳一畳から二畳分の小さな田んぼが100枚ほど、段々になって斜面を覆っています。いちばん上の展望台から見下ろすと、まるでスケッチブックに描かれた絵を見ているよう。
この金山棚田、景色の美しさが有名になり、見物客が訪れるようになったのはここ最近のことで、10年ほど前からです。それまでは地元の人ですら、誰もその景観に気付いていませんでした。
「私も知らなかったんですョ。棚田は下から見ても、美しさは分かりませんから」と語るのは、「金山棚田を守る会」の事務局長・小岩浩一さん。
地元の人が金山棚田の美しさに気付いたのは、ある偶然がきっかけでした。棚田の頂上にある耕作用に作られたため池に、外来魚のブラックバスが繁殖し、市役所の職員が駆除に訪れたのです。そのとき「何だ、この美しい風景は!」と息をのんだ職員たち。その話はすぐに地元の人たちにも伝わりました。
初めて上から金山棚田を見下ろして、その美しさに感動した小岩さん。「この風景は、町の宝として残すべきだと思ったんです」と言う小岩さんたち有志によって「金山棚田を守る会」が結成され、展望台も設置。金山さんの農作業が大変なときは、町の人たちが交代で手伝いに行く支援体制も作られました。
もっとも、耕作をする金山さんにしてみれば、上から見た棚田の景色は子どもの頃から見慣れたごく当たり前の風景。それが町の観光資源になるとは思ってもみませんでした。
「景色は美しいかもしれねぇけど、耕作はたいへんなんだョ。ぜんぶ手作業だし」
棚田は1つ1つの田んぼの面積が小さく、また、あぜ道も狭いため、トラクターなどの大きな耕作機械を入れることができません。従って、耕作や管理はすべて手作業になるのです。
また田んぼの数は多くても、小さな田んぼから穫れるお米の量は少ないため、かかる労力に比べて収穫量は低いのです。そのため跡を継ぐ人も少なく、いまも耕作を続けている棚田はどんどん数が減っています。金山棚田も、金山さんがいま実際に耕作しているのは、全体の半分の50枚ほど。
「ぜんぶ手でやってるからね……さすがに80になるとキツイねェ」
それでも、お米作りを続けて来たのは、棚田から穫れるお米を美味しいと言って食べてくれる人たち、そして棚田を何とか保存しようと頑張ってくれている町の人たちの存在があるからです。
金山さんには50代の長男がいますが、他の仕事を持っており、金山さんも後を継がせる気はありません。「せがれは私の苦労を見て育ってるからね。とても継げとは言えないですよ……」。
ずっと1人で頑張って来た金山さんですが、さすがに年齢的にも限界に達し、今年(2019年)の秋の収穫を最後に、作付けを断念すると決めました。どこかよそから後継者を見つけて来ない限り、金山棚田は存続の危機に立たされているのです。
残された時間は、あとわずか。守る会の小岩さんも後継者探しに奔走しています。その甲斐あって「後を引き受けてもいい」という候補者も現れ、希望の光も見えて来ました。小岩さんは言います。
「金山棚田を残すことは、美しい景色を残すためだけではありません。この土地に棚田を作り、代々、米を作り続けて来た人たちの思いを後世に伝えて行きたいんです」
八木亜希子 LOVE&MELODY
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