フィテッセ・本田が持つ「東京五輪」との不思議な縁

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、11月21日にオランダ1部・フィテッセへの入団会見を行い、2020年・東京オリンピック出場を目指すサッカー元日本代表・本田圭佑選手にまつわるエピソードを取り上げる。

フィテッセ・本田が持つ「東京五輪」との不思議な縁

サッカーのオランダ1部リーグ、フィテッセの入団会見に臨む本田圭佑=2019年11月21日、オランダ・アーネム 写真提供:時事通信

「新しい挑戦を楽しみにしている。若い選手より経験があるので、さまざまな面でチームに貢献できると思う」(本田)

21日、オランダ1部リーグ・フィテッセへの加入を発表した本田。オランダのアーネムにあるクラブハウスで入団会見を行い、自信満々に抱負を語りました。

豪州のメルボルン・ビクトリーを退団して以降、どのクラブとも契約していない状態が続き、約半年も公式戦から遠ざかっていた本田ですが、その間、ツイッターなどSNSを使って自分がフリーであることをアピール。名門マンチェスター・ユナイテッドや、古巣のACミランにも自ら売り込みをかけ、欧州でもその動向が注目されていました。

そして11月6日、ついに本田と契約する欧州のクラブが現れました。オランダのフィテッセと、2020年6月までの契約を締結。

フィテッセの指揮官は、本田がロシア・CSKAモスクワ時代に指導を受けたロシア人のレオニド・スルツキ監督で、2人は勝手知ったる仲。またオランダは、本田が海外移籍の第一歩を記した国でもあり、オランダリーグにはVVVフェンロ在籍時以来、10年ぶりの復帰となります。

2008年1月、本田はJ1・名古屋グランパスからVVVに移籍。当時の入団会見では流暢なオランダ語で「車のホンダとは違うホンダです」と挨拶し、現地の報道陣を笑わせましたが、あのとき20代だった本田も、いまや33歳。今回の会見で「VVV時代の自分と、いまの自分の違いは?」と聞かれ、英語でこう答えました。

「いまとは全然違う。経験もなかったし、英語もまったく話せなかった。オランダの環境が、今日の本田圭佑を作り上げた。本当に感謝している。今回の挑戦では、オランダサッカーにもできるだけ貢献して、この10年でどれだけ成長したかを示したい」

まさに「原点回帰」であり「恩返し」でもある、本田のオランダリーグ再挑戦。

自身3度目の出場となった昨年(2018年)のロシアW杯が「最後のW杯」と宣言。一時は現役引退も囁かれた本田でしたが、2018年8月、当時所属していたメキシコの強豪パチューカから、豪メルボルン・ビクトリーへの移籍を発表。そして半年のブランクを経て、今回のフィテッセ入団。

カンボジア代表の実質的な監督として、W杯アジア2次予選の指揮を執る一方で、本田があくまで「現役」にこだわるのはなぜでしょうか?……それは「オリンピック」への強い思いがあるからです。

「常に挑戦者でいたい。僕なりの挑戦の仕方は、世界一を目指す以外にない。W杯が(目標に)なくなり、もうオリンピックしかない」

2018年、ネットTV出演時にそう語った本田。いかにも“本田節”ですが、以降、ことあるごとに五輪への情熱を口にして来ました。今回のフィテッセ入団会見でも、

「3人しかない枠に選ばれないといけない。大きな挑戦だが(選ばれる)自信はある」

と力強くコメント。本田は2008年、22歳で北京五輪に出場していますが、このときは3戦全敗で1次リーグ敗退。あの屈辱の借りを返したい、という強い思いがあるのです。

ただし、原則23歳以下の選手で構成される五輪代表。33歳の本田は本来ならもう出場はできませんが、五輪サッカーには「オーバーエージ枠」(以下「OA枠」)があり、24歳以上の選手を1チーム3人まで出場させることができます。

この枠をどう使うかは、各チームの自由。過去の五輪日本代表は、枠をフルに使ったときと一切使わなかったときがありますが、五輪の選手枠は18人と少数精鋭。OA枠を使うと、次のカタールW杯(2022年)を見据えて国際経験を積ませたい若手の人数が、その分減ることになります。

A代表と同時に、U-22(五輪候補)の代表監督も兼務する森保一監督にとっては悩ましいところですが、本田が「OA枠で出たい」とアピールしていることについては「ありがたい」とコメント。若手を叱咤激励し、統率して行くには本田はもってこいの存在ですし、久保建英(RCDマヨルカ)と本田が同じチームでプレーしているところを想像すると、ちょっとワクワクします。

もっとも、森保監督が実際に本田を招集するかどうかは、本人がこれからオランダでどんな活躍を見せてくれるか次第です。

さらに本田には、東京五輪との不思議な縁もあります。実は親戚に、前回・1964年の東京五輪で活躍した元オリンピック選手がいるのです。本田の祖父の弟、すなわち「大叔父」にあたる、本田大三郎(だいさぶろう)さん・84歳。

大三郎さんは、日本初のカヌー代表として、前回の東京五輪にカナディアン・ペアで出場。当時は教えてくれるコーチも、バックアップしてくれる協会組織もないなかで、自前の舟を造り、競技歴わずか3年で大舞台に挑戦。世界の強豪と互角に渡り合ったレジェンド選手なのです。

そんな大三郎さんがかつて、兄の孫・圭佑少年にアドバイスしたことがあります。それは「毎日欠かさず、練習日誌をつけること」。日誌は自身の成長の記録でもあり、見返せば新たな飛躍のヒントにつながったりもします。

いまも大三郎さんからの教えを忠実に守り、練習日誌をつけている本田。半世紀以上をまたぎ、尊敬する大叔父と同じ「東京五輪」の舞台に立てるかどうか? 新天地・オランダでの活躍に注目です。

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