話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、12月11日に古巣・埼玉西武ライオンズへの復帰会見を行った、松坂大輔投手にまつわるエピソードを取り上げる。
「とにかく早く、ライオンズのユニフォームを着たいと思っていました。すぐに声を掛けていただいたのが西武だった。何も迷うことはなかったです」
11日、都内のホテルで、古巣・西武への入団会見を行った松坂。大勢の報道陣が詰めかけた会場でフラッシュを浴びながら、久々にライオンズのユニフォームに袖を通しました。
西武でプレーするのは、2006年以来14年ぶり。1年契約で、背番号は2013年~2014年に在籍したニューヨーク・メッツ時代と同じ「16」です。1980年生まれの松坂は、来年(2020年)で40歳。プロ野球人生の第1歩を記した球団で、節目の年を迎えることになりました。
2014年のシーズン終了後にメッツを退団し、ソフトバンクと3年12億円の契約を締結、日本球界に復帰した松坂。このとき西武は、松坂獲得に動きませんでした。
結局ソフトバンクでは1勝も挙げられず、2017年オフに退団。この際も西武は動かず、浪人の身となった松坂に声を掛けたのは、当時中日の監督だった森繁和氏でした。西武のOBでもある森氏は、松坂が西武に入団したときの投手コーチ。松坂にプロのピッチャーのイロハを教えた人物でもあります。
当時、森氏はこう語りました。「西武が獲らないって言うんだから、もう俺しかいないだろう。大輔に引退試合をさせてやれるのは」
中日のユニフォームを着ることになった松坂は、移籍1年目の昨年(2018年)、11試合に登板。6勝4敗と見事に復活を果たし、森氏の恩に報いてみせたのです。
しかし今季(2019年)は、キャンプ中に右肩を痛めて出遅れ、7月にようやく初登板。2試合で0勝1敗という不本意な成績でシーズンを終えました。そしてオフに、恩人の森氏が中日を退団。「僕もいちゃいけないかなと思って……」と、松坂も退団することに。
再び自由契約となった松坂に真っ先に声を掛けたのは、今度こそ、古巣・西武でした。
「アメリカに行ったときは、『戻って来るときはライオンズだな』と思っていた。家に帰って来た感覚。ライオンズに決まったときは本当に嬉しかったです」
会見に同席した西武・渡辺久信GMは、過去2回、獲得を見送りながら、今回手を挙げた理由について、こうコメントしました。
「中日退団のときに、『もう1回ライオンズのユニフォームを着てほしい』という気持ちが強くなった。その後はトントン拍子で決まりました」
今季、西武のチーム防御率は4.35と、優勝チームでありながらリーグワーストの成績。2年連続で日本シリーズ進出を逃したのも、クライマックスシリーズで投手陣がソフトバンク打線に打ち込まれたのが響きました。
リーグ3連覇へ向けて、先発・中継ぎを含めた投手陣の立て直しが急務ですが、セ・パ両リーグとメジャーを渡り歩き、数々の修羅場をくぐって来た松坂は、若手が多い西武投手陣にとって格好の手本になります。
松坂は今季、中日の若手投手たちに投球術や調整法を伝授。そのアドバイスもあって、横浜高校の後輩でもあるプロ3年目の柳は、11勝と大きく飛躍しました。ただし、渡辺GMが松坂に期待するのは、そういった指導者的役割だけではありません。「先発投手としてまだまだ使える」という計算もあって、復帰のオファーを出したのです。
「入団の話をもらったとき、いまのピッチングスタイルが、いまのパ・リーグのなかでは有効なんじゃないかなと言われた。“動かすボール”をメインに、どうバッターを打ち取って行くかを考えながらオフ、キャンプを過ごして行きたい」
と抱負を語った松坂。“動かすボール”というのは、ホームプレート付近(=打者の手元)で小さく変化する、カットボールやツーシームのような球のことです。メジャーの投手にとっては、この“動かすボール”を自在に操れることが重要で、カットボールに磨きを掛けた松坂は、積極的に振って来るパの打者相手に十分通用する、と渡辺GMは踏んでいるのです。
とは言え、今季は1勝も挙げられなかったのもまた事実。松坂も、引退のときが近付いている現実を、しっかり直視しています。
「終わりが見えているが、2年、3年先を見られるわけではない。1年1年の過ごし方がいままで以上に濃いものになって行く」と覚悟を決めた松坂。1つ、励みになっている存在が、1980年生まれの同世代、阪神・藤川球児投手です。
藤川は、10日に契約を更改し、今季年俸1億4000万円から6000万円アップの2億円でサイン。今季はシーズン途中から守護神に復帰し、56試合で4勝1敗16セーブ、防御率1.77。チームの3位浮上に大きく貢献しました。藤川は、名球会入りの条件となる日米通算250セーブへあと7セーブに迫っています。
「いまの自分とは違って、彼はものすごく元気なボールを投げている。未だにわかっていても打たれないストレートを投げられていると思う。その姿を見て、ものすごくパワーをもらっているし、尊敬している」と言う松坂。松坂も日米通算170勝を挙げ、名球会入りの200勝まで、あと30勝。「最後まで諦めずに、200という数字を目指したい」と会見で誓いました。
「野球がやっぱり好き。いま持っている気持ちを、燃え尽きて、辞めるときまで持っていたい」
プロ1年目、「いくら“怪物”でも、さすがにプロではそんなに勝てないだろう」と言われながら、いきなり16勝を挙げて見返してみせた松坂。「(活躍を)期待していない人の方が多いと思うけれど、それを少しでも覆したいと思ってやって行きたいです」と言う“22年目の新人・松坂”に注目です。