話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、5月31日に行われた日本ダービーで、コントレイルを2冠馬に導いた、福永祐一騎手のエピソードを取り上げる。
5月31日、東京競馬場にて、76年ぶりに無観客で行われた競馬の祭典「第87回日本ダービー」(G1)。2017年に生産されたサラブレッド7262頭の頂点に立ったのは、皐月賞馬・コントレイルでした。
5月29日、航空自衛隊のブルーインパルスが、医療従事者への感謝を込めて東京の空に鮮やかな線を描きましたが、その2日後、府中の芝2400メートルを独走で突き抜けたコントレイル。この馬名は英語で「飛行機雲」という意味です。皐月賞・ダービーの2冠制覇は、2015年のドゥラメンテ以来5年ぶり。さらに「無敗」となると、父・ディープインパクト以来15年ぶり、史上7頭目の快挙でした。
単勝1.4倍の圧倒的1番人気を背負ったコントレイルでしたが、重圧をものともせず、馬の力を引き出して2冠に導いたジョッキーが、ベテラン・福永祐一。ダービーは2018年に続き、自身2度目の制覇です。
「素直にうれしい。何よりコントレイルが非常にいい走りをしてくれた」
勝利騎手インタビューでコントレイルを讃えた福永ですが、その手腕も光りました。直線に入ってから、馬を追い出すタイミングをじっと待ち、馬群を抜け出したとたん、前にいる馬をアッという間にゴボウ抜き。コントレイルは、猛然と追い込んで来たライバル・サリオス(皐月賞2着馬)をさらに上回る剛脚で、3馬身差の圧勝。「格の違い」を見せ付けました。
最後の直線、なぜ追い出しを少し待ったのかについて、福永は、
「(馬が)遊んじゃうんですよね。だから追い出しを少し待っていた」「抜けてからも緩められなかったのは、これから改善してほしい面。逆に考えれば、遊びながらダービーを勝っているのですから、相当優秀な馬だと思う」
100%本気で走っていないのに、他馬を圧倒……空恐ろしいものを感じますが、圧倒的なポテンシャルを持った馬なら、誰が乗っても勝てるかというと、競馬はそんなに甘くありません。レース中、つい気を抜いてしまうヤンチャな馬をしっかりゴールに導くのは、やはりジョッキーの「腕」。福永の次のコメントには、重みがありました。
「1度も(ダービー)勝利を経験していないときと、1度経験してからでは、心境というか心持ちが違った。いままでダービーや大きなレースでたくさんの経験を積ませてもらったことが、きょうに生きたと思う」
福永は、武豊に次ぐ史上2位のスピードでJRA通算2000勝を達成した名手ですが、なぜかダービーだけはなかなか勝てませんでした。初騎乗の際に味わった“悪夢”が尾を引いたとも言われています。
1998年、デビュー3年目にして、早くもダービーに初騎乗した福永。騎乗馬・キングヘイローは福永の好騎乗で皐月賞2着となり、ダービーでも2番人気に推されていました。馬の能力を考えると「初騎乗でダービー制覇」という偉業も夢ではなく、また「天才ジョッキー」と呼ばれた父・福永洋一(落馬事故で引退)も勝てなかったダービー制覇は、福永家にとって“悲願”でもありました。
さまざまな期待を一身に背負って、初のダービーに臨んだ福永。しかしゲートが開くや、キングヘイローは、ハイラップを刻んで “暴走”。デビュー以来1度も逃げたことがなかった馬が、前半からこんなに飛ばしてはどうにもなりません。途中で失速し、14着に惨敗……。鞍上の福永には、馬券を買ったファンから容赦ない怒号が浴びせられました。
「頭が真っ白になって、なぜかスタートして仕掛けてしまった。直線は、穴があったら入りたい気持ちだった」
レース後のインタビューで、自分の未熟さと技量不足を責めた福永。ダービーというのは、優秀なジョッキーも舞い上がらせてしまうほど、大きな重圧のかかる大舞台なのです。まだ若かった福永には、非常に酷な経験でした。
以後福永は、数々のG1を制しながらダービーだけは勝てず、2017年まで何と18連敗……。エピファネイアに乗った2013年のダービーは、直線で抜け出し「よし。勝った!」と思ったその瞬間、外から猛然と追い上げて来た武豊騎乗のキズナにかわされ、2着。
「人生でいちばんの無力さを感じました」というほどのショックを受けた福永。秋もエピファネイアに乗って負けるようなら、進退を考えなければ……というところまで思い詰めたと言います。しかし、そこから神戸新聞杯・菊花賞と連勝。エピファネイアをクラシックホースに導き「あれで殻を破れた」(福永)。
それから5年後……一昨年(2018年)のダービーで、福永は5番人気・ワグネリアンに騎乗。ワグネリアンは外枠(8枠17番)からの発走でしたが、思いきってスタートから仕掛け、前に行かせました。下手をするとキングヘイローのときのように暴走する危険もありましたが、そこはうまくなだめて、逃げる皐月賞馬・エポカドーロのやや後方、5~6番手の絶好の位置をキープします。直線、福永は満を持してスパートをかけると、ワグネリアンは持ち前の剛脚を披露。粘るエポカドーロを、ゴール直前で差し切りました。
19回目の挑戦で、41歳にして、ようやく悲願のダービージョッキーとなった福永。大胆かつ冷静な騎乗は、これまでの苦い経験があってこそ。レース後、こみ上げて来る涙をぬぐいながら、支えてくれたスタッフ、家族、ファンに感謝した福永の姿は印象的でした。
「ダービージョッキーになって、見える景色が変わりました」
今回、2度目のダービー勝利後、福永は地下馬道へ引き上げる前に、無人のスタンドに向かってヘルメットを脱ぎ、深々と一礼しました。それは、画面越しに中継を見つめるファンへのメッセージであり、新型コロナ禍のなかでも競馬ができることへの感謝の表れでもあったのです。