広島・黒田、横浜・三浦……エースがFA移籍しなかった理由

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、12月24日、「球団に残留の意思を伝えた」と報道されたヤクルト・小川泰弘投手と、過去にFA権を取得しながらチーム残留を決めたエースにまつわるエピソードを取り上げる。

プロ野球 ヤクルト対中日 ヤクルト・小川泰弘 6回2失点、5年ぶりの2桁勝利の10勝目=2020年10月24日 神宮球場 写真提供:産経新聞社

「納得して、来年以降の野球人生につなげたい。思いきり野球をするために、いましっかり悩むことが1つの財産になると思います」(FA宣言時の小川のコメント)

今オフ、FA権を行使し、残留か移籍かが注目されていたヤクルトの「ライアン」こと小川泰弘投手。プロ8年目の今季(2020年)は、8月15日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成。チームが2年連続最下位に沈むなか、唯一10勝を挙げ孤軍奮闘しました。

当然、ヤクルトは小川に残留をオファー。4年総額8億円近い大型契約を提示していました。一方、有原航平がポスティングによるメジャー移籍を目指し、先発の柱が欠ける可能性がある日本ハムも熱心にオファー。小川はヤクルト・日本ハム双方と複数回交渉を重ねていました。

「金額じゃない。野球人生の分岐点なので、じっくり考えたい」……FA宣言前からそう語っていた小川。残留するか、新天地でプレーするか、悩みに悩み抜いた末の結論は「やはり、慣れ親しんだ神宮でプレーを続けたい」ということになったようです。

決断にあたっては、粘り強く残留交渉を続けた球団関係者や、チームメイトからの「来年も一緒にやろう」という言葉、そして「ライアン、残って!」というファンの声も心に響いたようです。ヤクルトは今オフ、主砲・山田哲人、守護神・石山泰稚、小川の3人がFA権を取得。3人とも流出する可能性もありましたが、これで全員が残留することになり、スワローズファンにとっては最高のクリスマスプレゼントとなりました。

関係者によると、小川は熟慮を重ねるうちに「このチームでまた優勝したい」という思いが強くなって来たようです。これは「ドラゴンズで優勝したい」とFA権を行使せず、残留を決めた中日・大野雄大とも重なるところで、やはり“エースとしての責任感”も大きな理由でしょう。

年俸や複数年契約は、プロ野球選手にとっていちばんの評価基準であり、FA権を行使して好条件を提示するチームに移籍するのは、選手の自由。何ら後ろ指を差されることではありません。ただ、小川が「金額じゃない」と言ったように、チームへの愛着だったり、やり甲斐を理由に残留を選ぶ選手もいます。それもまた、選手の自由。

残留した例で真っ先に浮かぶのが、2006年オフ、FA権を行使せず広島に残った黒田博樹です。当時のカープは毎年Bクラスが続く低迷期にあり、FA制度導入後、主力選手の流出が続いたことも大きな理由でした。この年、FA権を取得した黒田にも、巨人・阪神が「4年16億」「5年20億」といった高額のオファーを提示しましたが、黒田が選んだのは「4年12億」のカープでした。

この額でも、当時のカープにとってはギリギリ出せる精一杯の金額。「マネーゲームではとても敵わない」と球団関係者も半ば諦めていたそうです。また、毎年下位に沈むチームより、優勝を狙えるチームでプレーしたい、というのもプロ野球選手なら当然の感情。周囲も「移籍やむなし」と見ていたなかで、黒田はなぜ残留を決めたのでしょうか?

2006年10月16日、旧・広島市民球場で行われた最終戦に登板した黒田は、思わずマウンドに立ち尽くしました。消化試合で、本来ならガラガラのはずの観客席がびっしり埋まり、黒田の背番号「15」のボードを掲げたファンが、ライトスタンドを真っ赤に染め上げていたのです。さらに、こんな横断幕も……。

「我々は共に闘って来た 今までもこれからも…… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース黒田博樹」

残留会見で、黒田はこうコメントしています。「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープです。そのチームを相手に、目一杯ボールを投げる自信は正直なかった」

「カープ愛」を理由に黒田は残留しましたが、球団と合意の上で、翌2007年オフ、かねてからの夢だったメジャーリーグへ移籍します。ただし「日本に再び戻るときは、カープでプレーする」という約束を守り、2015年に広島へ復帰。このときも、メジャー球団の提示額には遥かに及ばない年俸(とはいえ推定4億円、カープにとっては異例の高額オファーでした)で契約を結び、黒田の「男気」はカープファンを狂喜させました。

黒田は復帰1年目、40歳の年齢をものともせず11勝。翌2016年も10勝を挙げ、広島を25年ぶりのリーグ優勝に導き引退。メジャー在籍時、長期契約を再三断ったのも「現役時代の最後はカープで」と心に決めていたからでした。

もう1人、こちらは小川と同様、FA宣言をした上で、悩みに悩んだ末に残留を決めたエースがいます。横浜・三浦大輔です(現・DeNA監督)。1998年、38年ぶりのリーグ優勝と日本一を経験した三浦。しかしチームはその後、長期低迷に突入していました。

2008年、三浦が2度目のFA権を取得(1度目は宣言残留)すると、オフに阪神が高額かつ長期契約をオファー。というのも、三浦は阪神戦に相性がよく、「虎キラー」だったのです。阪神側には、天敵・三浦を自軍に引き入れれば、負け分も減って二重のプラス、という思惑もありました。

さらに、関西出身の三浦は子どものころから阪神ファン。横浜が残留交渉にあたって提示した額は阪神より低く、チームも最下位。阪神に移れば優勝も狙えます。周囲も「今度ばかりは移籍するだろう」と見ていました。ところが……11月30日に三浦は記者会見。「横浜残留」を表明したのです。会見で三浦は、その理由をこう語りました。

「最終的には、いろいろ考えた結果、『三浦大輔はどうしたいのか?』ということです」
「野球を始めたころから、高校でも、プロに入ってからも、『強いところを倒して優勝したい』という気持ちが、いちばん強かった」

悩んだ末に、自分の正直な気持ちに立ち返った結果、「強いチームに行って勝つ」のではなく、「弱いチームのなかで、全力を尽くして強いチームに勝つ」……それが、三浦大輔の生き様じゃないのか? というのが、本人の出した結論でした。

「横浜や他球団を客観的に見られたし、FA宣言してよかった。一生でいちばん頭を使った。しんどい思いもしたけれど、本当によかった」とも語った三浦。最終的な決め手について、この一言も忘れませんでした。

「横浜が好きだからです」

今オフ、DeNAの新監督に就任した三浦。くしくも就任早々、梶谷・井納と、投打の主力2人が巨人にFA移籍することになりましたが、それはあくまで選手の自由。選手の気持ちは、指揮官自身が誰より理解しています。

三浦は移籍するか否かで悩んでいた際、親しい人からこんなアドバイスをもらったそうです。「何が正解か、なんていうのはない。選んだのが正解だ」……移籍しようと、しまいと、そのチームで結果を出せば、それが正解になるのです。

DeNAもここ数年、地道なチーム強化を続け、優勝を狙える戦力が整って来ました。あのとき、横浜残留を選んだことを「正解」にするために、新監督は23年ぶりのリーグ制覇と、日本一を目指します。


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