笑福亭鶴瓶が、8月17日に84歳で亡くなった笑福亭仁鶴さんを悼んだ。
8月22日のニッポン放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』に生出演した鶴瓶は、「あのお兄さんがおったから、この世界を選んだと言っても過言ではないんですよね」と、学生時代に仁鶴さんの「市民寄席」を観に行った際に偶然、松鶴師匠の落語を目の当たりにし弟子入りを決めた……という、自身の入門のきっかけを語った。
鶴瓶にとって、兄弟子にあたる仁鶴さんは“憧れ”であり、いつまでも“話すと緊張する相手”だったといい、緊張してストレートに言えずに周りくどい方法で仁鶴さんに出演交渉したことがあるという。
鶴瓶が、松鶴師匠の住居跡地に建てた寄席小屋を利用し月に1回開催するイベント『無学の会』をスタートさせるときのこと。「まずは兄さんに出てもらわないと始まらない」と考えていた鶴瓶は、どうアプローチしたものかと悩んでいた。仁鶴さんの妻である隆子さんにも相談し、「時間がかかるよ」と言われながらもその機会をうかがっていた。
当時、鶴瓶が『鶴瓶・上岡パペポTV』(読売テレビ)、仁鶴さんが『大阪ほんわかテレビ』(読売テレビ)にそれぞれ出演。偶然にも楽屋が隣同士だったが、ある日、鶴瓶が耳をすますと隣の楽屋から“ロシア民謡”が聞こえてきたという。そこで、“仁鶴さんはロシア民謡が好きらしい“という情報を手に入れた鶴瓶は、すぐさまバラライカ奏者を探し、バラライカ奏者の北川翔さんへ連絡し『無学の会』への出演を依頼。それが決まり、仁鶴さんへ「今度バラライカ奏者の方が出演してくれて……」と話してみたところ、「そんな人が来るんか!」と好印象。そこですかさず「出演していただけませんか?」と交渉したのだという。
変化球ともいえる交渉が見事成立し、2001年4月に行われた『無学の会 第24回』の出演者欄には「笑福亭仁鶴さん(落語)・北川翔さん(バラライカ奏者)」と明記された。
「今思えば、すんなり言ったら良かったんかもしらんけど」「こっちが勝手に緊張していた」と、奔走した当時を思い返した鶴瓶……
出会った時から今なお、絶大な兄弟子である仁鶴さん。
「すごい人が逝って行ってしまったなって、心にポッカリ穴があいてしまったような感じですけど。僕らが笑福亭の看板を背負っていかなきゃと思いますね」と鶴瓶は語った。
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