高校サッカーの名将は落研顧問 故・小嶺忠敏さんの知られざる顔
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、1月7日に76歳で亡くなった高校サッカー界の名将・小嶺忠敏さんにまつわるエピソードを紹介する。
長崎・国見高校サッカー部を率いて、全国高校サッカー選手権を制すること実に6度。これは戦後最多タイ記録です。高校サッカー界随一の名将、小嶺忠敏さん。9日に行われた葬儀・告別式にはサッカー関係者を中心に約1500人が参列しました。日本サッカー協会の田嶋幸三会長が弔辞を読んだことも、その偉大さを物語っています。
選手権の監督通算勝利数は実に85勝(島原商11勝、国見65勝、長崎総合科学大付で9勝)。育てたJリーガーは、昨年(2021年)限りで引退したJ1最多ゴール記録保持者の大久保嘉人氏、「ドーハの悲劇」を経験した元日本代表の高木琢也氏をはじめ30人以上に上ります。
国見高校を離れたあとも、2005年にはプロサッカークラブのV・ファーレン長崎の誕生に尽力し、初代社長に就任。2008年からは長崎総合科学大高を指導。サッカー無名校を強豪校へと育てあげ、先日まで開催されていた第100回高校サッカー選手権にも出場しています。生涯「現役監督」としてプロアマ問わず、日本サッカー界に大きな影響力を築き上げて来た人物でした。
自著『国見発 サッカーで「人」を育てる』(2004年刊・NHK出版)には、サッカー監督としていつも3つの夢を抱きながら活動して来たことを明かしています。
『1つ目は「チーム(国見高校)が日本一になって、県民に喜んでいただくこと」、2つ目は「教え子から日本代表の選手を育てること」、3つ目は「日本の代表となるような指導者を育てること」です』
~小嶺忠敏著『国見発 サッカーで「人」を育てる』(NHK出版) より
その目標通り、選手権優勝6度を成し遂げ、大久保嘉人氏や高木琢也氏らを筆頭に数多くの日本代表を輩出したことは前述の通りです。さらに、その高木琢也氏は現役引退後にJ1監督を歴任(現在はJ3相模原監督)。他にも現J1神戸監督の三浦淳寛氏、J2東京V元監督の永井秀樹氏、香川真司の移籍が決まったベルギー1部シントトロイデンの立石敬之CEOなど、数々の指導者も輩出しています。
また、直接の教え子でなくても、今年(2022年)の高校サッカー選手権を制した青森山田高校の黒田剛監督も小嶺信奉者のひとり。マイクロバスを自費購入して全国遠征を重ねた小嶺監督に倣い、黒田監督もまた大型免許を取得し、バスで遠征を重ねて青森山田を強豪校に育て上げて来たのです。
このように、日本サッカー界に多大な影響力を保持し続けた小嶺監督の指導論・指導方法といえば、昔ながらの「スパルタ指導」を連想する人は多いはず。実際、訃報の際に出た記事にはこんな記述もありました。
『卒業生に「モルモットにしてすまなかった」と謝るスパルタ指導で鍛えた。365日練習漬けで試合数は公式戦を含め年間400。遠征では朝食前の試合を「モーニング」と呼ぶ1日最大6戦。00年度Vメンバーの元日本代表FW大久保は「血へどを吐くようなきつさに逃げそうだった」という』
~『日刊スポーツ』2022年1月7日配信記事 より
ただ、そんな「厳しさ」のなかに「ユーモア」も交えることを大切にしたのもまた小嶺流でした。あまり知られていませんが、国見高校の前に指導していた初任地の島原商業では、サッカー部以外にも落語研究会の顧問も担当していたのです。
そのユーモア精神を生かし、苦しい練習ばかりで選手のモチベーションが下がらないようにと、同じランニングにしても足し算引き算の計算をしながら答えが奇数か偶数かで走る向きを変えたり、練習中に突然グラウンドで歌を熱唱させて度胸付けをさせたりと、創意工夫を凝らしてユニークな練習をいくつも考案して来たのです。
また、高校サッカー3年間だけでなく、その後の人生も見据えた長いスパンで「サッカーとの付き合い方」を教えることも小嶺監督のモットーでした。
『レギュラーになった、ならないというのは、高校時代の3年間のこと。人生90年のたった3年間です。私たちは、タケノコと一緒のようなもの。太陽の光と土の養分を吸収して伸びていき、冬の寒いときは根を長く太くしていく。高校時代にレギュラーになった人はここで花が咲いたわけだが、残りの人生でも花を咲かせなくてはいけない』
~小嶺忠敏著『国見発 サッカーで「人」を育てる』(NHK出版) より
だからこそ、教え子たちの「小嶺監督への別れの言葉」には、サッカーのことよりも、「人生について教わった」「いまの自分があるのは先生のおかげ」といった言葉が溢れているのです。
最後に、そんな小嶺監督の味わい深い一言を。
『桃栗3年、柿8年、芸人8年、商売10年、それでもダメなら20年、まだまだあるさ25年』
~小嶺忠敏著『国見発 サッカーで「人」を育てる』(NHK出版) より
小嶺監督が指導者になり、日本一を達成するまでにかかった年数も20年。何かとすぐに結果を求められがちな現代においてこそ、胸に留めておきたいフレーズです。