『あぶさん』の設定にも助言! 水島マンガと野村克也氏の深い関係
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、1月10日に亡くなった野球マンガ界の巨匠・水島新司さんと、実在のプロ野球選手・OBの交流にまつわるエピソードを紹介する。
『学生時代から読んでいた漫画ドカベンに自分が初めて出た時の喜びは今でも忘れません…。こんなルールがあったんだと勉強させてもらった事もあります。今だからこそ子供たち、指導者の方にも読んでほしい野球漫画だと思います。自分もまた読み返したいと思います。水島先生、ありがとうございました!』
~松坂大輔 公式Twitter(2022年1月17日付)より
野球マンガの第一人者で、数々の名作を世に送り出した水島新司さんが、1月10日、肺炎のため都内の病院で亡くなりました。享年82。逝去から1週間後、17日に公表された訃報を受け、プロ野球界からも哀悼の意を表するコメントが続々と寄せられています。
冒頭の追悼コメントを自身のツイッターで発表した松坂大輔氏もその1人。特にパ・リーグ出身の選手たちは、ホークス(南海→ダイエー→現ソフトバンク)所属の景浦安武を描いた『あぶさん』や、山田太郎が西武に入団して以降の『ドカベン プロ野球編』の作品中にも登場。ときに主人公たちの対戦相手として、ときに飲み仲間として、その活躍ぶりやキャラクターを紹介されて来ました。
それだけに、特別な思いがあるのではないでしょうか。筆者も80~90年代に活躍した選手たちにインタビューすると、「水島先生に描かれて、初めてプロ野球選手として認められた気がした」と語った人が何人もいたのを思い出します。
『ドカベン』シリーズが甲子園大会の激闘を終え、水島さんが連載にひと区切りつけたのは、いまから35年前の1987年のこと。それから8年後、1995年に「プロ野球編」として復活を果たします。その際、連載再開を決意させた1人が清原和博氏というのは有名なエピソードです。
「4番としてのあるべき姿を山田太郎から学んだ」と語るほどドカベンファンだった清原氏は、西武在籍時、水島氏に連載再開を懇願。その際「山田には、自分と同じチームでクリーンナップを組ませて欲しい」とリクエストします。そのため、水島氏はホークスファンにもかかわらず、山田太郎は西武に入団することになったのです。
実は同じように、ドカベンの連載再開と「あのキャラクターと同じチームになりたい!」とリクエストを出した人物がいます。ドカベンが連載再開する前年・1994年にブレイクした、オリックス時代のイチローです。
『イチロー君に至っては、もう具体的なアイデアが返ってくるわけです。「一つこれだけは約束して下さい。(『ドカベン』に登場する)秘打男の殿馬だけはオリックスへ入れること。絶対これは外さないで。(『ドカベン』の)キャラクターとしては、秘打が売りの殿馬が一番好きなんです。で、その殿馬と是非、一、二番コンビを組みたいんです」と。そういう具体的な話が来ると、漫画の描き手としたら、もうたまらんですよね。それでプロ野球編を描こうと』
~『月刊経営塾』1995年10月号インタビュー より(水島新司氏のコメント)
実在の選手たちにも、大きな影響を与えて来た水島マンガ。作者の水島氏が影響を受けた人物といえば、故・野村克也氏が真っ先に思い浮かびます。水島野球マンガの3大作品『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩(うた)』は、野村氏の存在と助言がなければ、いまの形にならなかった作品なのです。
まず、『あぶさん』の主人公が「代打男」という設定は、当時南海ホークスの選手兼任監督だった野村氏からの助言がヒントになっています。当時、近鉄でプレーしていた永淵洋三という酒豪で知られた選手をモデルに、「呑んべえのスラッガーを主人公にしてみよう!」と閃いた水島氏。そのアイデアを編集者ではなく、まず野村氏に話し、その設定が使えるかどうか相談したということからも、2人の関係がいかに親密だったかが窺えます。
『大酒飲みで、二六歳、ノンプロを首になった選手だが、高校のときに一五〇メートルのホームランを打っている、この男は使えるでしょうか、ってね。野村さんは、代打なら使えるかもしれん、て言ってくれたんです。それでやってみようと決めたわけです。野村さんという人は、選手を見る目が他の人と違うんですね。だから『あぶさん』の設定も野村さんの言葉がなかったら実現しなかったかもしれません』
~『本の窓』1995年5月号 より(水島新司氏のコメント)
同様に、『野球狂の詩』に欠かせないキャラクターである“日本初の女子プロ野球選手”水原勇気の生みの親もまた、野村氏でした。
『どなたもね、まともに相談に乗らなかった。頭から女性は無理だよと。プロだよって。でも野村さん(現楽天監督)は本当に漫画チックな発想の人で。「女性かー。1つボールがいるな。落ちる球が一番いいな。1つあればバッター1人かワンポイント、1イニングとか使える」って言ったんです』
~『日刊スポーツ』2009年1月6日配信記事 より(水島新司氏のコメント)
そして『ドカベン』の主人公、山田太郎のポジションがキャッチャーになったのも、もちろん“稀代の名捕手・野村克也”を、水島氏がリスペクトしていたからに他なりません。
さらに言えば、『巨人の星』以降「野球マンガ=主人公はピッチャー」が当たり前だった時代に、日陰の存在だった「キャッチャー」を主人公にしたり、「パ・リーグの選手」をメインで描いたり……その背景には「王や長嶋がヒマワリなら、オレは日本海の海辺にひっそりと咲く月見草」と語っていた野村氏の存在があるのです。巨人偏重主義へのアンチテーゼ、と捉えることもできるでしょう。
ともに野球界に多大な功績を残した、野村克也氏と水島新司氏。個人的には野村氏同様、水島氏にも野球殿堂入りして欲しかった、と強く思います。水島氏は2019年・2020年と特別表彰候補に挙げられながら選外となりました。2020年暮れにマンガ家引退を表明した際、「心境の変化があった」として候補者入りも辞退。球界に与えた影響の大きさを考えれば、どうして生前に選ばれなかったのか、理解に苦しみます。
ひとまずは水島先生、お疲れ様でした。そして、野球の面白さ、奥深さを教えてくれた素晴らしい作品の数々、本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。
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