トップの車が最終周の4コーナーで止まりリタイヤ……「ル・マン」が厳しいレースであると言われる所以

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黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」にプロレーサーの青木拓磨が出演。ハンディキャップを抱えて参戦し、完走した「ル・マン24時間レース」について語った。

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。2月7日(月)~2月11日(金)のゲストはプロレーサーの青木拓磨。2日目は、昨年(2021年)参戦した「ル・マン24時間レース」について---

黒木)青木拓磨さんはバイクレースのテスト中の事故で下半身不随の後遺症を負い、車椅子での生活になりながらも、プロレーサーとして活躍されています。2021年8月には、「ル・マン24時間レース」に参戦して、完走されました。映像も観させていただきました。334周で結果は32位でしたけれども、ハンディキャップがあるので、選手が交替するときにロスタイムが生じてしまう。

青木)そうなのです。「ル・マン24時間」が行われる「ブガッティ・サーキット」というのは、歴史のあるサーキットの1つでもあり、参加台数も非常に多いです。ピットという場所があって、走っているコースからピットに入って来て、ドライバー交代をしたり、マシンを修復したりするのですが、そこのピットロードがすごく狭くて、前との距離が15センチメートルぐらいしか空いていないのです。

黒木)15センチ。

青木)私の他にもう1人、ベルギー人の車椅子のドライバーがいて、あともう1人の3人のドライバーが交代で乗車するのですが、ピットロード上で彼と私が入れ替わるときに、後ろと前に車が来てしまったら、私がピットに戻れない状態になってしまいます。

黒木)なるほど。

青木)だから致し方なく、ピットボックスのなかに入れて、ドライバーチェンジをして、また出て行くと形になります。そのために他の車より、大体2分~2分半ぐらいのタイムロスになります。それが17回~18回あったのですけども、そのロスタイムを入れずに計算すると、25位ぐらいまで上がるのですね。

黒木)しかもリタイアする選手たちも2割ぐらいいらっしゃるのですね。

青木)過酷なレースですので、20台以上、リタイアしてしまいました。我々の出ていたクラスのトップを走っていた車が最終周の4コーナーで止まってしまったのですよ。23時間55分くらい走っていたのに、ですよ。

黒木)ええ!

青木)完走扱いになりませんでした。トップにいたのに、優勝ができなかった。もう本当にあと少し、「もう1周だったのに」というところでした。それが「ル・マン24時間」で完走すること、成績を残すことが本当に厳しいレースと言われる所以なのだと思います。

黒木)そのなかでの完走ですからね。

青木)そうですね。ナイトセッションである場合は、自分が照らしているヘッドライト以外は見えないので、「優勝目前だな」とか、「もう表彰台目前だな」と思うのですが、「最後のチェッカーフラッグを受けるまで、レースはわからないな」ということを、改めて知ったレースでもありました。

青木拓磨が合流「SRT41チーム」~ATHLETEBANKのプレスリリース(2021.08.04) より

青木拓磨が合流「SRT41チーム」~ATHLETEBANKのプレスリリース(2021.08.04) より

黒木)青木さんはラストのチェッカーフラッグを受けていらっしゃって。

青木)はい、私がチェッカーフラッグを受けさせていただきました。

黒木)あれは泣いてしまいますよね。

青木)本来のレースは6月の第2週に行われるのですけれども。

黒木)夏至のころですね。

青木)そうですね。いちばん日が長い時期ということもあって。今回はコロナの影響で、8月の開催でした。入場制限もかなりしていました。本来であれば20万人近く来られる観衆を5万人近くまで抑えていました。関係者の方々が入れるパドックも制限していました。本来であればスポンサーさんや応援団が日本からもたくさん来るはずだったのですけども、その人たちすら入って来られなかい状況でした。

青木拓磨 ~ATHLETEBANKのプレスリリース(2021.08.04) より

青木拓磨 ~ATHLETEBANKのプレスリリース(2021.08.04) より

青木拓磨(あおき・たくま)/ プロレーサー

■1974年生まれ。群馬県出身

■8歳の時に初めてポケバイに乗り、1990年にロードレースデビュー。群馬の「青木3兄弟」として全国的に知られていた存在。青木さんは次男。
■1995年・1996年、全日本選手権スーパーバイククラスチャンピオン2連覇を獲得。1996年は世界選手権スーパーバイククラスでも優勝。
■1997年には世界最高峰のロードレース世界選手権500ccに参戦、世界ランキング5位を獲得するも、翌年の1998年、開幕前のテスト中に転倒。このちきに脊髄を損傷し、下半身不随の後遺症を負い、以来 車イスでの生活に。
■その後、HRCチームの助監督に就任し、鈴鹿8時間耐久を3連覇させ、レンタルバイクによる耐久レース「Let’s レン耐!」を主宰するなどバイク業界に貢献。
■2007年にレースに復帰。四輪レースに転向。「ダカール・ラリー」などさまざまな四輪レースに健常者と同じ舞台の上で参戦。去年8月には 世界的なレース「ル・マン24時間」にも参戦した。
■またハンドシフトのバイクでサーキットを走行するなど2輪での活躍も注目される。
■今年4月には熊本県にライダー養成所を開設する予定。

 

番組情報

黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

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毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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