高島礼子~カーレーサーから女優に転身したワケ
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に女優の高島礼子が出演。女優になった経緯について語った。
黒木)今週のゲストは女優の高島礼子さんです。高島さんが女優になりたいと思ったのは、子供のころからですか?
高島)いや、子供のころは内向的でした。とても、人前に出るようなお仕事を目指すタイプではありませんでした。
黒木)何になろうと思っていらしたのですか?
高島)車の運転が好きでした。16歳で原付バイクの免許を取り、その辺りから自分で運転してどこかへ行ける便利さや楽しさを知ってしまって、そこから18歳で車の免許を取って。
黒木)そしてカーレーサーだったという。本当ですか?
高島)はい。
黒木)そんな大人しい子が。
高島)カーレースは1人で運転するではないですか。車のなかの自分だけの世界にいられるという楽しさ。結果的にカーレースというのは、みんなで勝利を求めてやることだったのですけれども、そこから人が変わったような気がします。もともとは孤独が好きだったのですが、カーレースを始めることによって、みんなで目標に向かうことが好きになったのです。
黒木)スピードは、何キロくらい出すのですか?
高島)富士スピードウェイには2キロの直線コースがあります。私がやっていた「富士フレッシュマンレース」では、230キロは出ていると思います。
黒木)たった2キロをそんなスピードで行くわけですか?
高島)一瞬だと思います。一瞬そのくらい出たとしても、すぐにカーブが来るので。
黒木)それは自分との闘いですよね?
高島)そうですね。
黒木)そこからなぜ、女優に転身なさったのですか?
高島)カーレースはとてもお金がかかるので、資金稼ぎのために、キャンペーンガールをやっていたのです。そこでお金を稼ぐうちに、モデルの方のお仕事もさせていただくようになって、松平さんに声をかけていただいたのがきっかけです。
黒木)それで、ドラマに出られるようになった。
高島)松平さんのやられていた連続ドラマに出させていただくことになりました。
黒木)「暴れん坊将軍」ですか?
高島)そうです。
黒木)お稽古などもせずに、そのまま実践ですか?
高島)はい。プロデューサーさんに「現場で習ってください」と言われました。一応、立ち回りなどは、撮影に入る前に1ヵ月くらい監督さんに特訓していただきましたが。
黒木)現代劇ならともかく、時代劇というのは難しいですからね。
高島)京都の太秦撮影所がデビューだったのですが、皆さん、プロフェッショナルの溜まり場なので、スパルタ教育をしていただきました。いま思えば、太秦でデビューできてよかったと思います。
高島礼子(たかしま・れいこ)/女優
■1964年7月25日生まれ。神奈川県出身。
■会社員として働きながら、アマチュアレーサーとしてモータースポーツで活動。レース資金捻出のため、レースクイーンやモデルの仕事も開始。初出演のCMを目にした松平健さんに見いだされ、1988年、『暴れん坊将軍Ⅲ』に出演。本格的に女優デビュー。その後、数多くの作品に出演。
■1996年には『陽炎2』で主演を演じ、以降、陽炎シリーズに出演。
■1999年からは『極道の妻たち』シリーズに主演。
■2001年、映画『長崎ぶらぶら節』で日本アカデミー賞・優秀助演女優賞を受賞。
■映画・ドラマ・CM・舞台…幅広いシーンで活躍。テニスやゴルフが趣味。モータースポーツのA級ライセンスを取得。
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳