快挙です!佐藤琢磨が日本人で初めてインディ500を制しました!
モータースポーツの世界3大スポーツといえば、F1のモナコGP、ル・マン24時間、そして佐藤が日本人として初めて制したインディ500。
101年の歴史があり、約35万人以上の人が観戦に訪れる米国ではスーパーボウルに匹敵するビッグイベントです。
1周4キロのオーバル(楕円)サーキットを200周する約3時間のレースで勝負が決まります。平均スピードは350km/h以上で、最高スピードは390km/hキロ。
賞金総額は約15億円、優勝賞金は約2億7,200万円とビックスケールです。
優勝者をたたえるイベントも盛りだくさんで、レース翌日から表彰式、テレビやラジオ出演、ニューヨーク証券取引所で始業の鐘を鳴らすセレモニー、NFLのダラス・カウボーイズへの表敬訪問など、3日間は分刻みのスケジュールをこなさなければなりません。
睡眠時間が3時間ぐらい。でも、人生が一転した。
と語っています。でもその中で、
日本には、よいニュースが必要です。東日本大震災から6年がすぎましたが、まだ仮設住宅で暮らす人が20万人もいます。
という佐藤の感謝のスピーチに最も拍手が起きたそうです。
ところが、インディ500はメモリアルデー、つまり戦没者追悼記念日の前日に開催されるという理由で、デンバー・ポスト紙の記者が、日本人の佐藤が優勝したことをあげつらい、ツイッターに差別的な投稿をして、解雇されたことが大きな波紋を広げました。
このことがどうして日本でもっと話題にならないのか不思議だというニュースが米国では持ち上がっています。
その佐藤がモータースポーツへ興味をもったのは、鈴鹿サーキットへ、F1日本グランプリを観戦したことがきっかけでした。
でも「簡単にはなれない」と一度はあきらめたそうです。
続いて和光学園高進学後、自転車競技に興味を覚えました。しかし、高校には部活がなかったのでたった1人で部を立ち上げ、94年のインターハイで優勝。
早大進学後も競技を続け、オリンピックを目指す決意を固めていましたが、96年に一大転機が訪れました。
鈴鹿サーキットでドライバーを養成するレーシングスクールが開校されることを知ったのです。そこで大学を休学して、チャレンジ。
モータースポーツをはじめてから、わずか6カ月にもかかわらず、難関を突破し、翌97年、首席で卒業。02年には日本人史上7人目のフルタイムのF1ドライバーに。
ステアリングを握って、わずか5年のキャリアでここまでのぼりつめた選手は、世界でもそれほど例がありません。
しかし、スポンサーなどで恵まれず、表彰台へ上がったのは、04年の米国グランプリの3位が1度だけ。
10年からインディーカーシリーズへ転向し、ようやく苦労と才能が報われたわけです。
インディ優勝も束の間、休む暇なしで今週末は、デトロイトでのレースへ出場します。
6月2日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」