仙台育英が甲子園初V 107年越しの東北勢「悲願成就」への長い道のり

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、仙台育英が成し遂げた「東北勢の悲願・甲子園優勝」にまつわるエピソードを紹介する。

仙台育英が甲子園初V 107年越しの東北勢「悲願成就」への長い道のり

【第104回全国高校野球 決勝戦 下関国際(山口)―仙台育英(宮城)】 優勝し喜ぶ仙台育英ナイン=2022年8月22日 甲子園球場 写真提供:産経新聞社

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『宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます!』

『100年、開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました』

~『朝日新聞デジタル』2022年8月22日配信記事 より(須江航監督優勝インタビュー)

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第104回夏の甲子園を制し、東北勢悲願の初優勝を果たした仙台育英。須江監督の優勝インタビューで「100年、開かなかった扉」という言葉がまず出てきたことに、どれだけの重圧を背負ったなかでの戦いだったかを垣間見ることができた。

1915年、第1回大会決勝で秋田中が延長13回の激闘の末、1対2で京都二中に敗れてから107年。この間、東北勢の決勝進出は春夏あわせて12回。それはまさに東北100年の悲願の歴史だった。

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・1915年夏 秋田中(秋田)1対2 京都二中(京都)
・1969年夏 三沢(青森)0対0、2対4 松山商(愛媛)
・1971年夏 磐城(福島)0対1 桐蔭学園(神奈川)
・1989年夏 仙台育英(宮城)0対2 帝京(東東京)
・2001年春 仙台育英(宮城)6対7 常総学院(茨城)
・2003年夏 東北(宮城)2対4 常総学院(茨城)
・2009年春 花巻東(岩手)0対1 清峰(長崎)
・2011年夏 光星学院(青森)0対11 日大三(西東京)
・2012年春 光星学院(青森)3対7 大阪桐蔭(大阪)
・2012年夏 光星学院(青森)0対3 大阪桐蔭(大阪)
・2015年夏 仙台育英(宮城)6対10 東海大相模(神奈川)
・2018年夏 金足農業(秋田)2対13 大阪桐蔭(北大阪)

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こうして見ると、00年代後半以降は何度となく決勝の舞台に立ってきた東北勢。つまり、この悲願成就も時間の問題だった、と見ることもできる。

近年躍進できた要因の1つとして考えられるのは、2004年、球界再編により東北の地にプロ野球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生したこと。より野球が身近な環境になり、高いレベルを間近で見ることができるようになったことで、東北球児たちの水準が着実にレベルアップしていた、ということは想像に難くない。

実際、今年(2022年)の高校3年生は2004年度生まれ。生まれながらにして東北にプロ野球があった世代なのだ。こうなると、プロ野球はもっと地方にエクスパンションすべきなのでは……という違う発想も浮かんでくる。

話を東北勢の歴史に戻そう。今大会の仙台育英と過去12度の挑戦、その大きな違いは「一人のエースの奮闘」か「継投の力」かという点も外せない。今大会の仙台育英は140キロ超の投手が5人という豪華投手陣。すべての試合で継投して優勝したのは第99回(2017年)で6試合を戦った花咲徳栄以来だった。

この投手王国をつくった須江監督の手腕は見事の一言。ただ、「継投の力」を実感したからこそ、改めて「1人のエース」が奮闘してきた東北球児たちの過去の歩みも今一度振り返っておきたくなる。

例えば、第1回大会の秋田中は長崎廣が1人エース。このときの秋田中は10人で大会に乗り込み、途中ケガ人が出て9人ちょうどで決勝を乗り切らなければならない、まさに代えの利かない戦いだった。

1969年の夏は、三沢高校の太田幸司(のち近鉄ほか)と松山商の井上明、両エースの伝説の投げ合い。太田は延長18回引き分け再試合の激闘2戦で計261球。準々決勝以降は4日連続での登板で、大会6試合64イニングを投げ切っての準優勝。その太田は今回の仙台育英の優勝に対し、こんな言葉を贈っている。

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『長かった。東北は勝てないって100年以上、言われ続けていたからね。呪縛から解き放たれたでしょ。でも、ここ数年の試合を見たら大阪桐蔭にかなわなかっただけで、選手は格段にレベルアップしている』

~『スポニチアネックス』2022年8月22日配信記事 より(太田幸司の言葉)

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1971年夏の磐城高校は、身長165センチの「小さな大エース」田村隆寿が奮闘。決勝戦は1失点で惜しくも優勝を逃したが、常磐炭鉱の閉山で沈みがちの街に希望の光を灯したのも間違いなかった。

そして、仙台育英の悲願という意味では1989年夏、大エース・大越基(のちダイエー)の姿も忘れられない。帽子のツバに「優勝・投魂・気迫」と書いた大越は、初戦から決勝までの全6試合56イニング、計838球を1人で投げ抜く、まさに気迫の投球。「東の横綱」と言われた帝京との決勝戦は4連投目。吉岡雄二(のち近鉄ほか)との投げ合いの末、延長10回、0対2での惜敗だった。

その大越は今回、後輩たちの優勝を受けてこんなコメントを残している。

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「校歌も一緒に歌わせてもらいました。育英のOB、東北で生まれ育った身として、もう感無量です。おめでとうと、心の底から伝えたい」

「育英には全国制覇を目指しながら、何度もはね返されてきた過去がある。打ち破るためにつくり上げたのが、あの強力投手陣だったのでしょう」

~『西日本スポーツ』2022年8月22日配信記事 より(大越基の言葉)

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その後も、2003年夏の東北高校はダルビッシュ有(現パドレス)、2009年春の花巻東は菊池雄星(現ブルージェイズ)、記憶に新しい2018年夏、金足農業は吉田輝星(現日本ハム)と、大エースたちが涙を流してきた東北勢の奮闘史。彼ら先人たちの挑戦の先に今回の悲願成就があった、ということも覚えておきたい。

優勝インタビューで、須江監督はこんな言葉も残している。

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『今日は本当に斎藤(蓉)がよく投げてくれて。でも県大会は投げられない中でみんなでつないできて、つないできて、最後に投げた高橋も、今日投げなかった3人のピッチャーも、スタンドにいる控えのピッチャーも、みんながつないだ継投だと思います』

~『朝日新聞デジタル』2022年8月22日配信記事 より

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「みんな」には、東北の歴史も含まれていると考えれば、今回の優勝はより一層味わい深い。

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