「3つのプレッシャー」乗り越えた村上56号・スタンド生観戦記
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、10月3日のDeNA戦で日本選手最多となる今季56号本塁打を放ち、令和初の三冠王に輝いた、東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆選手にまつわるエピソードを紹介する。
『結果的に最後の打席でホームランが打てたのは自分でもびっくりしていますし、最後のご褒美かなと思って素直に喜びたいなと思います』
~『サンケイスポーツ』2022年10月4日配信記事 より(村上のコメント)
ホームランが出て、大歓声が上がるシーンはこれまで何度も観てきましたが、スタンディングオベーションまで起こり、一旦ベンチに下がった選手がもう一度挨拶に出て来るシーンは初めて観ました。そう、10月3日のセ・リーグ最終戦、ヤクルト-DeNA戦で7回に飛び出した、ヤクルト・村上宗隆の「56号」です。
巨人・王貞治が1964年にマークした日本選手の最多記録・シーズン55本塁打を58年ぶりに更新したこのホームランは、9月13日の巨人戦で54号・55号を打って以来、14試合・61打席ぶりの一発でした。しかも、打ったのは今シーズン最後の打席……。「ここで打てなければ、もう記録更新はない」というラストチャンスに飛び出したメモリアル弾。筆者は神宮球場三塁側の内野スタンドにいましたが、その瞬間を生で見届けられたことを誇りに思います。
今季、史上初の5打席連続本塁打という大記録もつくっている村上。元ヤクルト・バレンティンが2013年につくった日本記録・シーズン60本塁打の更新も期待されていただけに、「あと1本」にこれだけ足踏みするとは誰も想像していなかったでしょう。観ている我々が考える以上に、村上には想像を絶するプレッシャーが掛かっていたのです。
これまで逃さず仕留めてきた甘いコースの球を打ち損じたり、打球が上がらずゴロになったり、村上らしくないバッティングが続き、打率も急降下。首位打者を争っていた中日・大島洋平に猛追を許し、一時は数厘差まで迫られていました。
「リーグ連覇」「三冠王」「56号」……考えてみれば、この3つの偉業が22歳のバットに懸かっていたわけで、スランプに陥るのも無理もないこと。“村神様”と呼ばれた村上も、やはり人の子でした。
ヤクルトは9月25日にリーグ連覇を達成。まずは1つ荷を下ろした村上ですが、その後もスランプは続きます。ヤクルト・高津臣吾監督は最終戦の前日、10月2日に行われた阪神戦で村上をスタメンから外し、休養させました。リフレッシュを図ると同時に、打率をこれ以上下げさせないためです。首位打者を争う中日・大島は、2日の広島戦でひと足早く全日程を終了。打率.31422でシーズンを終えました。
この時点で、ホームラン・打点の両部門で2位以下を大きく引き離していた村上は首位打者も確実になり、三冠王がほぼ確定。2つめの荷を下ろしました。村上は3日の最終戦で3打席ノーヒットでも打率.31481で大島を上回ることに。ただし4打席ノーヒットだと.31417で下回るため、高津監督は56号に挑む村上を「3打席まで打席に立たせる」ことに決定します。
DeNAとの最終戦に「4番・サード」で先発出場した村上。第1打席はセカンドゴロ。場内に「あ~」というため息が漏れました。しかし、第2打席でレフト前にヒットを放ちます。これで打率が上がったため、もう2打席凡退しても大島を上回ることになり「第4打席」にも立つことが可能になったのです。ファンもそれがわかっているので、ヒットが出た瞬間「よし!」という声があちこちから聞こえてきました。
第3打席はファーストゴロ。打球が上がらないのを見て正直、「ああ、きょうも出ないのか……」と思いました。そして7回、ラッキーセブン恒例の「東京音頭」が場内に鳴り響いたあと、この回先頭で、村上にシーズン最後の第4打席が回ってきました。DeNAはこの回からピッチャーを5番手の入江に交代。代わりばなの、初球でした。
入江が内角高めに投じた151キロのストレートは、決して失投ではありません。ホームランが出なかった間、村上が打ちあぐねていたコースを突く、力の入った1球でした。その1球を完璧にとらえ、バットを振り抜いた村上。
打った瞬間、「行った」と確信したのでしょう。ゆっくりと歩き出し、ベンチに向かって笑顔でガッツポーズ、雄叫びを上げた村上。打球がきれいな放物線を描き、スタンドインした瞬間のどよめきもまた、これまでに聞いたことがないものでした。
「歴史的瞬間を観た」という興奮と、目の前でダイヤモンドをゆっくりと一周するスラッガーへの称賛、そして素晴らしいアーチを見せてくれた感謝の思い。うまく言葉にできませんが、3万人のいろいろな思いが入り交じったどよめきでした。筆者も観ていて鳥肌が立ちましたし、周囲の観客とともに立ち上がって拍手を送ったのは言うまでもありません。
苦しみに苦しみ抜いて、3つのプレッシャーに打ち克ち、最後の最後に、みんなが期待する1発を打った村上。もし野球マンガでこういうストーリーを描いたら「できすぎで、あまりにもリアリティがないだろう!」と編集者に一喝されることでしょう。この日、村上はマンガを超えました。
思えば、今季村上は「ここで1発打ってくれたらなあ……」とファンが望む場面でたびたびホームランを打って、ヤクルトを勝利に導いてきました。自分の成績よりも、まずチームの勝利。それは村上の普段の言動や姿勢からも伝わってきます。
この最終戦は、内川聖一・坂口智隆・嶋基宏の引退試合でもありました。嶋が最後の打席に立ったとき、ベンチで涙を流していた村上。出場試合数は少ないながらも、陰でチームをまとめ、若手にアドバイスを送り、見えないところで優勝に貢献した嶋への感謝の思いがつい溢れてしまったのでしょう。
同様の思いが、内川・坂口に対してもあったに違いありません。「はなむけの意味でも、この試合で56号を打ちたい」という強い思い。そして何より、この1本を期待してくれているファンのためにも、という思いが、あのシーズン最終打席に凝縮されていたような気がします。
試合後の記者会見で「苦しいときに気持ちを変えてくれたのは?」という質問に対し、村上はこう答えました。
『自分の気持ちを変えるのも自分の気持ち次第。もちろんいろんな人から、たくさんの方から励ましの言葉をもらったりしますけど、そういう気持ちは僕にしかわからないところもある。僕自身が向き合って、僕自身の心で解決することが一番』
~『サンケイスポーツ』2022年10月4日配信記事 より
自分に向き合い、3つのプレッシャーを1つひとつクリアして、頂点にたどり着いた村上。しかし、まだ目指すべき頂点が残っています。それは球団史上初の「2年連続日本一」。これから始まるクライマックスシリーズ・日本シリーズに臨む上でも、この56号は大きな意味のある1発でした。