益城町の保健福祉センターでは最初の地震があった当日の夜から炊き出しなどが行われていました。
また本震のあった夜にはすでに、彼らによるお風呂の提供が行われていました。
かれらはこれまでにも被災地で数々の後方支援を行っていて、今回は、今回こそは、という気持ちで、先頭に立っていたのだと思います。
彼らはどこで会っても、私に笑顔で挨拶をしてくれました。
小さな子どもたちとは一緒に遊んだり、被災者のご家族と写真を撮ったりする姿もありました。
ただこれまでに取材したどの被災地でもあまり見かけない光景で「なぜこんなに自衛隊と皆さんの距離が近いのだろう」といつも感じていました。
その答えは、取材をつづけるうちに納得のいくものとなりました。
あとで地元の方に伺って知りましたが、熊本には陸上自衛隊の第8師団があります。
所属するおよそ9,000名の隊員の多くは、熊本や鹿児島、宮崎県という地元出身の方たちです。
幕末から明治時代にかけて、歴史的にも九州の要衝であった熊本県民は非常にアツい方が多く「火の国・肥の国」と呼ばれています。
確かに、益城町の保健福祉センターにあったお風呂には「火の国の湯」とありました。
「おいたちが、どげんかせにゃいけん」
ある男性が教えてくれた言葉です。
そんな気持ちで陸上自衛隊第8師団の隊員の皆さんは、まだ態勢の整わない被災地を必死になって救おうとしていました。
歴史的にも熊本の人たちは地元の自衛隊に「誇り」を持って普段から接しているのでしょう。
きっとその固い絆があってこそ、熊本、九州一丸となってこの災害を乗り越えていくんだという思いにつながっているのだと思います。
被災地が、元の生活を取り戻すのにはまだまだ時間がかかると思います。
それでも人と人の絆が壊れなければ、きっと取り戻せると思います。
被災地を取材すると、被災者に方々の役に立てているのか自問自答したくなるときがあります。むしろ邪魔をしているのではないかと。
それでも、被災地の方々の思いを、現状を、少しでも多くの方に知ってもらう事で、微力ではありますが被災者の方にお役に立てることがあると信じて、これからも取材を続けたいと思います。
こういった災害はどんなに準備をしても100%防ぐ事はできないことです。
だからこそ、今、目の前に起こった出来事を1人でも多くの人が共有し一緒に乗り越えられるような環境を作る一助になれるよう、ジャーナリストの一員として、このレポートを書きました。
起きてほしくはありませんが、いつ、こういった災害が自分の身に起きるか分かりません。
僭越ながら、1記者としてあなたに少しでも伝えることができればと思って、このレポートを書かせていただきました。
最後まで読んで頂き有難うございました。
ニッポン放送報道部記者 後藤誠一郎