会社を辞めて独立。日本人初のプロ車いすランナーへ。-廣道純(プロ車いすランナー)インタビュー

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ニッポンチャレンジドアスリート・廣道純(プロ車いすランナー)インタビュー(4)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

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廣道純(ひろみちじゅん)
1973年、大阪堺市生まれの42歳。高校1年の時、事故で脊髄を損傷し17歳で車いす生活を始める。1994年から世界各国のレースに出場。1996年、大分国際車いすマラソンで日本時初の総合2位に輝き、2004年、日本人初のプロ車いすタンナーに。パラリンピックにも4大会連続で出場。陸上800メートルでシドニーで銀、アテネで銅メダル、北京、ロンドンでも入賞を果たす。現在も現役の車椅子ランナーとして活躍中。

 

-車いすマラソン発祥の地でもある大分は、障碍者スポーツが盛んな土地でもある。会社に勤めながら、練習優先、競技優先の恵まれた環境を用意してもらった廣道だったが、2004年、30歳の時に突然、会社を辞め独立。日本人初のプロ車いすランナーになった。

廣道 本当に会社の条件としては最高でした。
そのまま会社員として走り続けるという選択肢もあったのですが、やっぱり世界チャンピオンに弟子入りしてその生活を見た時に世界にはプロで走ることでメシ食っている車いすランナーいるんだっていうのを知りました。
いつかプロになりたいという話をした時に、世界チャンピオンがお前がなりたいのだったら日本で頑張ってプロの世界を作れ、ないものは作ればいいって言われたんですね。
その思いがずーっとあったんです。
プロになることによって、ほかの選手たちが自分もプロになりたいな、頑張ったらプロになれるんだという道を作りたかったというのもあって、決断してプロの道へ行きました。

-廣道はスポンサー探しをすべて自分一人で行った。練習の合間に一軒一軒企業を回るのだ。

廣道 すべてスポンサー探しは自分での営業ですね。104で代表の電話番号を聞いて、そこから広報につないでもらって事情を説明して車いすレースの魅力を熱く語って担当者にいかに理解してもらうか。
でもメディア露出が極端に少なく、宣伝効果はあまりないということまでも伝えました。でも寄付金ではないんです、ギブ・アンド・テイクでスポンサー契約を結んでほしいというお願いをして、それに賛同していただいたところと契約に成り立つという感じでした。
長いところは10年くらいずっと続いているところもありますし、そういうところでは恵まれているなと思います。

-廣道は現在、公演活動のほかに大分でラジオ・パーソナリティとしても活躍している。

廣道 ゲストで呼んでいただいくことが多くて、ラジオって面白いなあ、車いすレースの魅力をラジオで語る。見たこともない人に言葉でどうやって伝えようっていうところが面白いと感じて、こんな番組やってみたい、ってゲストで呼んでいただいた時にポロって話をしたら、面白そうですね、やりましょうって話になったんです。結果6年続いています。

-そんな廣道を支えてくれるのが妻の奈々さん、2005年に結婚して10年以上経つが、出会ったきっかけは?

廣道 プロになった年なんですけれども2004年の3月に本当にプロになりたての時なんですが、長崎のハウステンボスというテーマパークで健常者のランナーとインライン・スケートと車いすのユニバーサルなマラソン大会という企画があって僕は車いす選手のコーディネーターでランナーを集めるという役をやっていました。
嫁さんは当時、旅行社に勤めていて、選手の飛行機のチケットとかホテルの手配をする事務局のスタッフとして入っていて、そのイベントがきっかけでスタッフ同士として出会ったのです。

プロになった年に出会い、その1年後に結婚したんですけれども、嫁さんのご両親に挨拶にいた時に「障がい者です。会社員をやめてプロになったばかりです。将来に対していろんな不安はあると思いますが、反対する理由いっぱいあります。でも、結婚したい」と伝えたら、「何の心配もしとらんよ」と言ってくれてあっさりOKしてくださった。
「この子が選んだんだから間違えないやろ」と自信を持って言ってくださった。そんな自信を持てるくらいの育て方をしたんだなっていうお父さん、お母さんを見た時に「あ、間違いない」と思いました。

-現在、二人の女の子の父親でもある廣道。子供が生まれたことで競技観が変わった。

廣道 子供をほったらかしてレースのことばかりを考えてて、子供が大きくなってからいや、こいつの小っちゃいころの記憶がないなというような生き方はしたくないと思いました。
それでレースも大事なんですが、レースと同じくらい子供のことが大事だなと思うようになり、だから子供の用事で練習ができない日が週に一回二回あったとしても練習を優先させるのではなく、その時には迷わず、子供を優先させるように変わりました。

(4月25日~5月6日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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