黒田投手、男気にケリをつけるように最後もカッコよかった。
ナインには「素晴らしい夢をみさせてもらった」と感謝の言葉を事前に伝え、「優勝が決まった頃から引退を考えはじめた」と話しました。
一方では「9回を投げられない体になった」と明かしています。
開幕前から黒田投手は、右肩痛、右足首痛などを訴え、満身創痍の状態でした。痛みを抑えるために注射を打って、ようやくマウンドに上がり続けた。にもかかわらず、10勝8敗という立派な成績を残しました。
若手よりも先にトレーニングジムに入り、ルーティンをこなし、マッサージを受ける。体のケアをして日々備える、そんな黒田スタイルをナインに見せたということが広島8年ぶりの日本シリーズ進出という成果につながったのではないでしょうか。
メジャーリーグでも黒田らしいエピソードがあります。
ドジャース時代の2009年8月15日、ダイヤモンドバックス戦で、ラスティ・ライアルの打球を頭部へ受けた。その際、ライアルから謝罪の手紙が届くと、「僕が引退した時、彼に当てられたと胸を張れる選手になってほしい」と逆にエールを送ったということです。
黒田の広島復帰を演出したのは鈴木清明球団本部長。オフには毎年渡米してさりげなく復帰をアプローチしてきました。どうしても戻ってほしい、広島へと具体的にアピールすることはせず、男と男の信頼関係を構築してきました。そして14年オフ、ヤンキースとの契約が終了後、黒田の決断に至りました。
黒田は鈴木本部長と会い、こんな質問を投げかけています。
「鈴木さんだったら、広島に戻りますか? それともメジャーですか?」その際、鈴木本部長は、「俺だったらメジャーだなぁ」と率直に答えたといいます。
そんなやりとりがあった後の、12月26日、携帯電話が鳴りました。
ディスプレーには『黒田 アメリカ携帯』が浮かび、広島復帰が実現しました。
日米通算200勝を達成した時には、記念としてカープカラーのGショックを作り、全員に配ったという黒田らしいエピソードもあります。
いよいよ日本シリーズですが、黒田がどういう瞬間に出てくるのか。スポーツ新聞にはいろいろ書いてありますが、いい場面でいい瞬間を作ってほしいものです。
10月19日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」