14日、東京・両国国技館で初日を迎える5月場所、高安が大関獲りへ挑戦します。
大関になるためには過去3場所の勝ち星が33勝必要ですので、あと10勝すればクリアです。
挑戦は昨年、11月に場所に続いて2度目ですが、この時は7勝8敗と負け越し、失敗に終わりました。
「夏は、全勝するつもり。身近な存在の優勝で、感化されました。自分にも欲が出て…」
頼もしい言葉です。
…というよりも、それだけ地力と自信が備わったということでしょうか。
所属する田子の浦部屋は、先代鳴門親方からの教えで、あまり出げいこは行いません。
ただ、稀勢の里が左肩の負傷で、高安の相手がいないのが実情でした。
そこで、付け人はなしで、一門の連合げいこなどへ積極的に参加してきたのです。
元々、厳しいけいこが当たり前ですから、息が上がって倒れそうになるまでとり続けます。
中でも、場所前に、白鵬には複数回、胸をかりました。
けいことはいえ、実戦さながら。高安が張り手を何度も見舞うシーンには、
「横綱によく、あれだけ張れますね」
と見ていた力士が漏らすほどです。
「相撲は、畳の上では敬意をはらい、土俵の上では、はらわない。勝負ですから」
と高安は話します。
この姿勢はまるで稀勢の里と同じです。
考えてみれば、3歳上の横綱とは、共通点が多く、野球少年から相撲界へ、それも中学を出てから叩き上げで今日の地位を築いています。
しかし、兄弟子との違いは、7回の脱走歴があることでしょう。
逃げたまではいいが、部屋へ戻る際はそれなりのペナルティーを覚悟しなければなりません。
鬼のしごきが待っているからです。
そんな時、稀勢の里は、高安へ
「とにかく辛抱しろ。お前は強くなる」
と励まし続けました。
スカウトした先代親方は、
「火山の中のマグマのような子だ。先に入った、萩原(稀勢の里)よりいい」
と言い、素質にほれ込んでいました。
先場所は稀勢の里とともに、初日から10連勝を飾りました。
1949年、1場所15日制が定着してから、関脇で無傷の10連勝は高安で14人目。
その中で13人がその後、横綱、大関へ昇進しています。
つまり、大関の昇進確率は100%。
高安は、平成生まれ初の関取で、平成生まれ初の三役になって、今度は大関へとなります。
稀勢の里も、昨年の11月場所と比較して、
「あの時とは違う」
と、タイコ判を押しました。
相撲界一番の大食漢。
フルコースの飲み会の後、締めはラーメンと思いきや、かつ丼と中華丼のダブルです。
体がどんどん大きくなっても、その分、けいこ量を増やしているのですから、どんどん強くなるわけです。
5月11日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」