先月末、国立の三重大学が、来年2月の大学院の試験で「忍者・忍術学」を選択できるよう、導入することを決定した・・・というニュースがありました。
海外10カ国に「NINJAを知っているか」聞いたところ、認知度98.7%!伊賀・甲賀には「NINJAに触れたい」「忍術を学びたい」外国人が押し寄せています。
その外国人たちが思い浮かべるのは・・・黒装束の忍者が、敵を次々と倒していく姿でありましょう。いや、外国人ならずとも、日本人もそうしたイメージがあるのではないでしょうか。
ところが、それが違うのです。今回大学院の試験に取り入れるのを決定した三重大学の山田雄司(やまだゆうじ)教授によりますと・・・「テレビや映画で見かける忍者は、本物とは全く違う」「そもそも“忍者”という呼び方は昭和30年代からで、歴史的には“忍び”」。
こうした間違った忍者像がはびこっているのは、日本史の専門家たちでさえ“忍者はまやかし”と思いこんで、研究対象にすることがほとんどなかったのも理由。そこでこの山田教授は、初めて学問として「忍者=忍びの研究」を2012年から、伊賀のおひざ元の三重大学で始めました。
それから5年経って、今度はさらに大学院でも忍者学を深く研究できるようにと、忍者の学術的専門知識を持つ人たちを学生として迎えるべく、試験に取り入れることを決めた、というわけなのです。
では、“真実の忍者”とはどういった存在であったのか?その本当の姿をお話ししましょう。先生の言葉を借りるなら、「忍者」ではなく「忍び」と言うべきなのですが、便宜上、「忍者」と言っていきます。
これまで小説や映画などのフィクションで描かれている忍者は、「黒装束の特殊戦闘員」。
それからして全く違うのです。忍者が活躍したのは戦国時代ですが、彼らの役割は実は戦闘員というよりは『プロの諜報員』だったのです。敵を攪乱するために火を使った術=火術(かじゅつ)を使ったりすることもあったようですが、一番重要な仕事は別。
その重要な仕事とは、味方の大きな損害を防ぐために、敵の城に忍び込んだり、敵陣に紛れ込んだりして、兵糧の残り、城の構造、敵の人数などの『情報』を
取って戻ってくることでした。つまり、絶対に死んではいけなかった。ですから、自ら命を投げうって相手を攻撃する、ということはなかったわけです。
そのため装束もわれわれが一般にイメージしているような黒装束ではなく、農民や武士などに紛れても目立たない柿色や紺の衣装を身につけていたとされています。
では、「情報機器のない時代の諜報のプロ」はどんな能力を使っていたのか?
いわゆる、城や屋敷の天井裏の穴から密談を盗み聞きしている忍者の図を思い浮かべる人が多いかもしれません。でも、天井裏の盗み聞きは少なかったのです。
その代わり、日中に、僧侶や旅人、芸能の民などに身を変えて、その土地の人たちと仲良くなって情報を得る。しかも、他所から来た者としてふるまう場合と、その土地の者として溶け込む場合と、臨機応援で立場を変えていました。
その際、いきなり必要な情報を探るのではなくて、「多種多様な話題を用意して、相手を褒めて気持ち良くさせ、自然と相手から話させるように仕向ける」といった、『心理学』を心得ていました。
こうして得た情報を、雇い主の大将に持ち返って伝えるときも、心理学を応用していました。すなわち・・・「五千の敵がいたら、三千と報告する」。
どういうことかと言いますと、相手が強大な力を持っていた時、それをそのまま主に伝えてはならない。少なく見積もって報告する掟があったのです。それは敵が大軍であれば、自分のところの軍隊の士気が下がってしまうからです。報告を受けた取った主もそれをそのまま受け取らず、割り増しして敵を見積もることから、結局は偵察した時に計った数と同じになるという理屈なのです。
こうして心理学も操った忍者ですが、彼らが一番怖いのは、犬に臭いを嗅ぎ取られて吠えられること。臭いを消すためにどうしたらいいのかが、江戸時代の忍者本に載っていまして・・・「ゴマを食べ、酢を一口呑むといい」とか、「わきのニオイを消す薬の記述」があります。とはいえ、犬対策で一番効き目があったのは、オス犬がいるところへはメス犬を連れて行き、メス犬がいるところにはオス犬を連れて行く、という手法だったと言われています。
忍者にも上中下という位がありまして、一番高い「上」ともなれば、使う“心理戦”も、とても難易度が高いものがありました。そういった忍法のひとつが「やまびこの術」と言いまして・・・
【やまびこの術】
あらかじめ自分が仕えている城主とひそかに打ち合わせしておいて、上級の忍者が敵方の城主の元へと行って、打ち明け話をするのです。
「実は、自分はこのたび大した過失もないのに、城主から牢獄に入れられ、家も没収され、ひどい目に遭った。復習したいので、ぜひともあなたに召し抱えてほしい」とまことしやかに訴えます。
先方でもこの忍者のことはよく知っているので、調べてみると、全くその通り、冷遇されていた。まあ、これはそう見せかけているだけなんですけど。で、敵方の城主はすっかり信用して、召しかかえるのです。
こうして忍者は敵方に大手を振って入り、全幅の信頼を受けながら、本来の主のために働く。これが「やまびこの術」と言って、忍びの裏芸として、また極意として伝えられています。
さて、忍者はスピードばかり求められていると思いきや、そうでない場面もあったという話を最後に。
忍者は「迅速」であることが重要でしたが、もっと重要なことは「確実に任務をこなすこと」でした。
たとえば塀が高くてどうやっても忍び込めない時はどうするか?それが木の塀だった場合は、毎日塩水をかけ、少しずつ色が変わっていくのを待つ。そこを管理する人は自然の変化だと思って不思議に感じないので、腐食がある程度達するまで、長い時間をかける。こうしてのこぎりを使わずに容易に壊して侵入できるのです。
「『気の長い話』も、『酒』を断つのも無理。私はやはり忍者にはなれません」と高嶋ひでたけはぼやきましたとさ。
9月5日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より
高嶋ひでたけのあさラジ!
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