大相撲横綱・日馬富士 命がけでやった!

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日馬富士

【大相撲九月場所(秋場所)千秋楽】賜杯を受け取る日馬富士=2017年9月24日両国国技館 写真提供:産経新聞社

初のひとり横綱。日馬富士が7場所ぶり、9度目の優勝を飾り秋場所が終わりました。初土俵から100場所。横綱在位30場所目など、今場所は相撲人生の区切りとも言える大事な15日間でした。3横綱2大関が休場し、かつてない重圧を感じていたのは確かでしょう。優勝インタビューでは、

「命がけでやった」。

本割、優勝決定戦と2番あわせて、7秒3は、速攻での完勝を物語っていました。負けない自信があったことも確かでしょう。

決定戦前には、弟弟子の十両・照強を相手に立ち合いのチェックを行っています。

「あいつを、テレビに出してやろうと思った」。

豪栄道との格の違いをまざまざと披露。そうはいっても、館内の四方へ、丁寧に礼をする。こんな光景は見たことがありません。律儀な性格が一目瞭然でした。

11勝4敗。敗れたのはすべて平幕。4つの金星を配給して、優勝を飾ったのは史上初の出来事です。終盤まで日馬富士の優勝を予想した人は少なかったはず。快調に白星を積み上げていく豪栄道に、二所ノ関審判部長は12勝で来場所の綱とりを示唆していました。その豪栄道は、

「横綱は強かった」。

最近は振るいませんが、日馬富士は2場所連続優勝を成し遂げ、横綱へ昇進した過去がある。それまで双葉山、貴乃花の2人だけでした。

ただ、昇進後は小柄な体形だけに、スピードはあるものの、体力がない。加えて、両腕、両ひざに不安を抱え、師匠の伊勢ヶ浜親方が、

「左腕の炎症で、まったく力が入らず使えない」

と漏らしていたほどでした。日馬富士も、

「痛みなど、朝起きてみないとわからない状況だった」

と話しています。

33歳といえば、引退と隣り合わせ。白鵬は、帰化をしなくても親方に-などの持論を展開しました。日馬富士は5年前、モンゴルで弁護士、警察官のライセンスを取得。慈善活動へ熱心に取り組んでいる。

2014年4月、法政大大学院へ入学。「モンゴル経済の発展について、学びたい」と大きな志がありました。にもかかわらず、1年で休学したのは、二足のわらじではどちらもダメになる。横綱は大変です。しかし、休学前、コンパなどは律儀に出る。勉強は志さえ失わなければ、年齢に関係ありません。ちなみに、大学はモンゴルの通信制で卒業しています。

平幕の優勝がささやかれる大混戦。でも、終わってみれば横綱が優勝。八角理事長は、

「日馬富士、豪栄道は立派だった」

とねぎらいの感想でしたが、4敗して優勝、の結果に横綱審議委員会は、

「よろしくはないが、けしからんとは思わない」。

タナボタとはあえて、言わないことにします。

9月25日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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