99年ぶりに、3横綱2大関が休場した秋場所は連日、波乱の連続。10日目、1敗の大関・豪栄道を追う、千代大龍が平幕の勝ち越し第1号になりました。
「番付が下がることはない。ホッとしている。あとは、のびのびと自分の相撲をとるだけです」。
控えめなコメントに終始したわけですが、勝ち越しでテレビインタビューへ登場したことは、かなりうれしい出来事だったらしい。
東京・荒川区出身で、都立荒川新田高から、日体大へ進み、学生横綱を含む個人5冠の実績があります。ところが、2011年春場所で、幕下15枚目格付出の資格をいかし初土俵の予定だったものの、相撲界の八百長問題で開催中止。5月場所も開催が危ぶまれた時には、
「力士ではなく、教師になることも考えた」
と言います。その5月場所は技量審査場所となったわけですが、初土俵前、17人の関取が引退に追い込まれ、1場所で十両昇進を宣言。ただし、一寸先は闇でした。右下腿蜂窩織炎などの影響で1勝もできずに、途中休場しています。
都立高出身の初の関取。中学、高校時代はやんちゃで、地元ではかなり有名だったらしい。対照的に、本名が明月院秀政。戦国武将のようなイメージを受ける。十両昇進までは、明月院のしこ名で土俵に上がっています。千代大龍になってからは、ビッグマウスというわけでもなく、本音をストレートに表現することで話題に。
「緊張はしない。99パーセントの実力と、1パーセントの努力でこれまでやってきた。人生で緊張したのは、麻雀で大四喜(ダイスーシー)をテンパった時です」
といったことを口にする。
型破りの力士。けいこをあまりせずに、本場所の支度部屋でも、準備運動はほとんどなし。焼き肉、炭水化物、それから甘い飲み物がとにかく好きです。カルピスは、ほぼ原液のままで何杯も。ミルクコーヒーは、砂糖をたくさん入れてといった具合でした。自業自得といっても過言ではありません。2012年、糖尿病を発症して、一時は体重が20キロも落ちてしまった。
糖尿病が怖いのは、他の病を併発することです。翌年に左眼の網膜剥離、両眼の緑内障を手術。とはいえ、幕内に踏みとどまることができたのは、実力があるからです。でも、両足の血行障害に見舞われた15年初場所は、途中休場で十両へ陥落。16年に他界した先代の九重親方から、
「悔しくないのか。悔しくなかったらやめろ」
とまで厳しい言葉があり、発奮。2場所で幕内へ復帰しています。
土俵下の控えで大あくびをすることもある。今場所の優勝について質問を受けると、
「(優勝は)13勝2敗で豪栄道関では…」
と言ったものの、3横綱が復帰する来場所は、
「全員集合になりますか。私は、こてんぱんにやられます」。
個性的で、どこか憎めない。千代大龍の終盤戦に注目しましょう。
9月20日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」