音楽と鉄道を連結する異才:向谷実
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【大人のMusic Calendar】
フュージョン黄金期における日本を代表するキーボーディストとして、また、黎明期のデジタルシンセサイザーを自在に駆使するサウンドクリエイターとして、はたまた、世界初の実写版鉄道シミュレーションゲーム『Train Simulator』の制作者として……様々な顔を持つ異才として知られる音楽家:向谷実。本日、10月20日は、彼の誕生日である。
NHK『ブラタモリ』の初期、「二子玉川」の回に出演して、意気揚々と玉電(旧東急玉川線)について語っていたように、向谷実は東京:二子玉川の出身。多くの鍵盤奏者がそうであるように、幼少期からオルガン、ピアノ、エレクトーンを学んでいた。特にエレクトーンに関しては、中学時代にコンクールで優勝をさらうほどの腕前だったという。そして浪人中に一念発起し、音楽の道を目指すことを決意し、ネム音楽院(現:ヤマハ音楽院)のエレクトーン科に進む。このネム音楽院在籍中に知人を介してギタリスト:野呂一生と知り合うこととなり、フュージョンバンド「カシオペア」への参加を持ちかけられたのだという。
当時、カシオペアはまだアマチュアバンドながら、ヤマハ主催のコンテスト「EastWest'76」で決勝に進出。野呂はベストギタリスト賞も受賞するなど、知られた存在となっていた。そのカシオペアが「EastWest'77」に出場するにあたり、強力な新戦力として白羽の矢を立てたのが向谷であった。向谷加入の効果でサウンドの安定したカシオペアは、「EastWest'77」で優秀グループ賞を受賞、その後のライブハウス回りの武者修行期を経て、1979年5月にアルバム『CASIOPEA』でアルファレコードからデビューを果たしている。(※2017年1月1日の「大人のMusic Calendar」:野呂一生の記事も参照のこと。)
カシオペアの多くの曲はギタリスト:野呂一生が作曲していたが、4枚目のアルバム『MAKE UP CITY』収録の「Reflections Of You」を皮切りに作曲にも参加。以降、「Strasse」「Step Daughter」「Road Rhythm」「After School」など、ファンにはなじみ深い名曲を生み出していく。野呂の曲をスリルと切れ味を信条とするカシオペアサウンドの正道とすると、向谷の曲はメロディアスでポップな味わい。アルバムの中にあって、ホッと一息つけるような柔らかな存在感を放っていた。
また、カシオペアの黄金期は、1983年5月発売の「YAMAHA DX7」の発売を起点としたデジタルシンセサイザーの急成長と爆発的な普及の時期とも重なっている。ネム音楽院かつヤマハのコンテスト出身の向谷は、その音色開発にも協力し、向谷が実際に使用しているDX7の音色データをROMカセットに収録した商品「DX7 Voice ROM 向谷実」も発売されるなど、同時期の生福(生方則孝、福田裕彦)、坂本龍一などと共に、DX7の代表的なプレイヤーとして認知されていた。80年代半ば以降、カシオペアのライブやレコーディング、楽器フェアでのデモンストレーションステージ等には、プロ用の最高級機種「DX1」(当時価格1,950,000 円)や、開発途中の未発表機種が登場することもあり、向谷はシンセ少年たちの憧れとして、その動向が注目される存在となっていた。
そうした最中の1985年8月に発売された初のソロアルバム『ミノル・ランド』(Welcome To The Minoru's Land)では、シンセサイザーやドラムマシンのシーケンスプログラムによる自動演奏を駆使し、アルバムに記載された演奏者クレジットは「向谷実」のみというレコーディングを行っている。現在では当たり前となった、いわゆる「一人多重録音」型の音楽制作の先駆けとして記憶されるべき、歴史的なアルバムである。同時期、プロ用録音機材レンタルやスタジオ運営のための法人「株式会社 音楽館」を設立。キーボード/シンセサイザーとコンピューター環境との融和の渦中にいた向谷は、パソコンやネット(当時はパソコン通信)、当時まだ普及間もないMacintoshなどにも精通し、ミュージシャンとしての活動のかたわら、自ら経営する会社の業務として、MIDI データ制作やCD-ROM、ゲームソフト開発などにも手を広げていくことになる。
1995年8月には、実写映像を使った鉄道運転シミュレーションゲーム「Train Simulator」を制作。ソロアルバム『ミノル・ランド』にも「TAKE THE SL TRAIN」という曲が含まれているように、向谷の鉄道趣味の熱さは80年代当時からカシオペアファンにもよく知られていたが、「列車を運転する」という子どもの頃からの夢を、ゲームの世界で実現させてしまった行動力には、皆が大いに驚かされた。この「Train Simulator」は、Macintosh用ソフトとして発売後にシリーズ化されてヒットを記録、PlayStation 2、PlayStation Portable、PLAYSTATION 3へと拡大し、2000年代前半にかけて音楽館の一大事業に発展することとなる。それに伴い、向谷の音楽活動は減少の一途をたどっていき、それだけが原因ではないものの、2006年にはカシオペアは活動休止となってしまう。
音楽館は「Train Simulator」のゲーム需要が一段落した後、その経験を生かし、鉄道会社が乗務員のトレーニングに使用する業務用シミュレーターの開発に進出。同時に、実際の駅や車内で鳴らされる「発車メロディ」「車内チャイム」等、鉄道における音楽環境のプロデュース、作曲、制作事業にも着手するなど、ついに本物の鉄道関連事業への参入を果たすことになる。現在音楽館は、業務用鉄道シミュレーター、および、博物館等に置かれる展示用鉄道シミュレーター等の分野において、トップメーカーと呼ばれるまでに成長を遂げている。
2012年4月、カシオペアが「CASIOPEA 3rd」として6年ぶりに活動を再開することが発表されたが、そこに向谷の名は無かった。メンバー間での話し合いにより脱退が決定したのだという。カシオペアとは別の線路を走ることになった向谷だが、その後も音楽館での業務とともに、「向谷実とチャージ&バックス」などでのバンド活動や、ラジオ、ネット配信などを通じた音楽活動ももちろん続けている。そこでは、カシオペア時代のステージMCで、司会屋実(しかいやみのる)とさえ呼ばれた、あの軽妙なおしゃべりも健在である。また向谷の作曲による「発車メロディ」「車内チャイム」も全国各地の鉄道で続々と増えつつある。貴方も、いつの間にか知らないうちに、彼の紡ぎだすメロディを毎日聴いているのかもしれないのだ。音楽と鉄道を連結する異才:向谷実の線路は、どこまでも続くのである。
【著者】不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター、CD企画・構成、音楽家インタビュー 、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。CD『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』(日本コロムビア)選曲原案およびインタビューを担当。