阪神・金本監督が桑原投手を起用したわけとは?

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桑原謙太朗

【NPB AWARDS(NPBアワーズ)2017 第2部】最優秀中継ぎ投手賞を受賞した阪神・桑原謙太朗=2017年11月20日東京都港区のグランドプリンスホテル新高輪「飛天」 写真提供:産経新聞社

球団史上最高の463パーセントアップで、桑原が契約更改しました。

「ここまで、上がるとは思わなかった」

みんながビックリし、一番驚いたのは当の本人でした。昨オフは、原口が358パーセントアップ。かつて、渋ちんと揶揄された阪神も、金本体制に転じてから働いた選手には、思い切ってお金を出すスタイルに転じました。

ただし、大幅アップといっても、今季の年俸は800万円でした。それが、プロ10年目で超変革。67試合に登板し、4勝2敗で39ホールドを達成しています。セ・リーグの最優秀中継ぎ投手にも輝いた。ちなみに、昨年、1軍での登板はゼロ。2007年ドラフト3巡目で奈良産業大から横浜へ入団しました。ところが、横浜では3シーズンで4勝。10年オフ、トレードでオリックスへ移籍します。4シーズンで22試合に登板したものの勝敗はなし。14年オフには、阪神へトレードされました。しかし、環境が変わっても15、16年と目立った活躍はありません。

なぜ、今年、ブレークしたかといえば、ルーキーイヤーの08年8月16日の阪神戦へ、話は遡ります。150球の熱投で、1軍初完投、初完封を達成。当時、金本監督は現役で、

「すごいボールを投げていた」

と覚えていた。今季は開幕から中継ぎで重用され、かつてヤンキースの守護神、

「マリアーノ・リベラのよう」

と絶賛。威力を発揮したのが、

「真っスラは自信があった」

と桑原が言う、打者の手元で鋭く変化するスライダーです。

加えて、昨年から取り組んできたフォームの改造が実を結んだ。ストレートに磨きをかけるために投げ込んでいた際、

「指の引っかかりがよくなった。コントロールが良くなったと思います」

今年、阪神で目を引いたのは、優勝した05年のJFKを上回る、史上最強のリリーフ陣でしょう。マテオのM、高橋聡文(あきふみ)のA、桑原のK、ドリスのDから、MACD(マクド)と呼ばれています。

とりわけ、桑原はチームが負けているシーンでも声がかかる。首脳陣からすれば、使い勝手のいい選手。来季の年俸が4,500万円に跳ね上がった要因は、そんな評価もフロントは見逃さなかったからでしょう。特徴は、どんなにピンチの場面でも、表情を変えないこと。そうはいっても、内心はドキドキしていると明かしました。一方で、こんな話をしている。

「セ・リーグ、パ・リーグの両方を経験している選手はたくさんいる。でも、その他に、イースタン・リーグ、ウエスタン・リーグの経験がすべてある選手は、少ない」

10年目にして開花した苦労を、ジョークで表現。不思議なことは、これほど活躍しながら、

「街を歩いていても、気が付かれない。何も変わっていません」

と苦笑しました。阪神は、先発から中継ぎへ転向し、安藤や福原のように名セットアッパーとなるケースが多い。

桑原は、しみじみと語っています。

「横浜時代、木塚さん(現横浜DeNA1軍投手コーチ)から、『右のピッチャーは、腕が振れなくなったら終わりだ』と言われた。今年、その言葉の意味がわかった気がします」

来シーズン、更なる活躍が期待できる桑原です。

12月8日(金) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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