札幌五輪「虹と雪のバラード」を作詞したのは整形外科の教授?
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今流れているのは、1972年の札幌オリンピックのテーマソング、
トワ・エ・モワの「虹と雪のバラード」。
いや~、きのう歌ったよ!って方もいると思います。
いい歌だよね。この「虹と雪のバラード」の歌詞を石に刻んだ詩碑というのが2005年にできたんです。オリンピック自体は46年前。そして詩碑が出来たのは、札幌オリンピックから数えて33年後。「そういえば詩碑、なかったね」なんて言われて。まあ忘れられていたんだよね。で寄付など集められて札幌の大倉山ジャンプ競技場に出来たそうです。大倉山スキー場、見学コースあるんですよ。
こんな急なところを選手は滑り降りていくの?えーー!。もう、札幌の街に飛んでいっちゃいそうな、そんな感じ。
もうエキサイティングですよ!
でね、この「虹と雪のバラード」の作詞をしたのが、河邨 文一郎さん。札幌医科大学の整形外科の教授で、医学界でも有名な方だった。教授時代の教え子の中には、あの「失楽園」などで知られる作家の渡辺淳一さんもいて渡辺さんが整形外科の道を志したのも、河邨さんのアドバイスによるものだった。
昼休みなどには、よくふたりで「詩」について語り合っていたそうです。そんな河邨さんの元へ、NHKから作詞の依頼が来た。NHKは札幌のことを知り尽くした、札幌に住む、現代詩人としての河邨 文一郎に依頼したわけです。
その際、3つのテーマを告げた。
①長く歌い継がれるもの。
②札幌の人たちの心情を表していること。
③式典風の重々しいものではなく、ギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千何万もの合唱に耐えうること。
この無理難題に、さすがの河邨さんも、ペンは2週間、止まったままだったそうです。そしてNHKのプロデューサーも厳しい方で、何度も何度も書き直しを命じて、ようやく出来上がった。
で、一方、作曲をしたのは、当時売れっ子「作曲家」だった村井邦彦さん。赤い鳥の「翼をください」や、トワ・エ・モワの「或る日突然」の作曲者。のちに、高校生だったユーミンと「ライター(作詞・作曲)契約」を結び、
ユーミンのデビューアルバム「ひこうき雲」をプロデュース。70年代後半には、坂本龍一さんの「YMO」のプロデュースなども行った方で80年代には「Jポップを作った男」と呼ばれる程のお方。
東島クンも、番組で村井さんの生演奏を目の前で、聴いたことがあるとか?顔が「松本ひでおアナウンサー」にそっくりだとか?我々「音」で勝負している人間は、顔は関係ありませんよ(笑)
ペンが2週間、止まったままだった河邨さんとは対照的に、村井邦彦さんは、わずか半日でこの曲を作ってしまった。NHKから言われたのは
「オリンピックで使う曲。でもまだ詳細は決まっていない。とりあえずNHK札幌放送局に来てください」
言われるがままに訪れると、スタジオには、大きなグランドピアノ。そして歌詞。さらに鉛筆が置かれていた。ほとんど説明を受けないまま、缶詰状態にされたそうなんですが、昼から夕食時までに、曲を作ってしまった。村井さんは
「ライター(作曲家)というのは、締め切りがあれば、曲が出来ちゃうもんなんですよ(笑)」
と笑顔で語ったそうです。多忙だった村井さんすぐに東京に帰ったため、作詞の河邨さんとは、その後、一度も会うことがなかったそうです。
そしてこの曲は1971年2月から3月のNHK「みんなのうた」放送。
その後、レコード化され60万枚の大ヒットを記録した、トワ・エ・モワのふたりは、PRカーにのって、札幌の街を走った。その頃の札幌は訪れるたびに、新しいビルが建った。そして地下鉄も開通した。そうなんですよ。私も乗りました。札幌オリンピックの時に、札幌の地下鉄は開通したんです。
歌詞にある「町ができる。美しい街が」は、まさにあの時だったんです。
2月12日(月)高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より
高嶋ひでたけのあさラジ!
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