パラスノーボード・成田緑夢 オリンピック出場を断念した練習中のアクシデント

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成田緑夢 金メダル スノーボード バンクドスラローム平昌 パラリンピック 2018

【平昌パラリンピック2018】スノーボード バンクドスラローム 男子 下肢障害 金メダルを獲得し笑顔で引き揚げる成田緑夢=2018年3月16日、韓国・旌善アルペンセンター 写真提供:産経新聞社

昨日閉会した、平昌パラリンピック。一人で5個のメダルを獲得したチェアスキー、村岡桃佳選手の活躍が目を引きましたが、もう一人、この選手の活躍も印象に残りました。

パラリンピック初挑戦で、金と銅、2個のメダルを獲得したパラスノーボード・成田緑夢(ぐりむ)選手・24歳です。
12年前、スノーボードでトリノオリンピックに出場した、成田童夢選手・今井メロ選手の弟で、「スノボ成田3兄弟」の末っ子ですが、お兄さん・お姉さんが果たせなかった「メダリスト」の夢をパラリンピックで見事に叶えました。

子供の頃から運動神経は抜群で、小学生の頃からスノーボードの国際大会で活躍。成田家では兄弟の練習用に、家にトランポリンが備えてあったそうですが、トランポリン競技でも実力を発揮して、ロンドンオリンピック代表の最終選考に残ったほどです。緑夢選手の夢は、

「夏冬両方のオリンピックに出ること」

その夢に向かって、家でトランポリンをしていたときに、アクシデントが起こります。2013年、両足に重りをつけ、宙返りをする練習をやっていた際に、空中でバランスを崩し、着地の際に左ヒザを強打。ヒザは反対方向に曲がり、前十字じん帯と後十字じん帯を断裂。半月板も損傷。動脈も破裂という大ケガで、一時は左足切断の危機に見舞われたそうです。

4度の手術を経て、なんとか切断は免れましたが、左足のヒザ下にまひが残って、医師からは「歩けるようになる確率は20%」と診断され、オリンピック出場の夢は絶望的になってしまいました。しかし、激痛に耐えながら、練習を再開。

「オリンピックが無理でも、パラリンピックがある」

と、2015年の冬から、障がいを持つ選手たちによる、パラスノーボードを本格的に始めました。

最初のうちは、つい事故前の感覚で滑ってしまい、左足が動かないため勝手が違って苦労しましたが、国際大会に出場したとき、障がいを感じさせない外国人選手たちのパフォーマンスを見て刺激を受けた緑夢選手。彼らに話を聞き、左足のハンディをカバーするための独自の工夫を重ね、ワールドカップでも勝利。ついに、平昌行きの切符をつかみ取ったのです。

初めて出場した平昌パラリンピック。まずは、スノーボードクロスで銅メダルを獲得すると、バンクドスラロームでは、金メダルに輝きました。現地まで応援に駆け付けたお兄さんの成田童夢選手は、

「最高のアスリートで、最高の弟です!」

と感極まっていました。

「オリンピックもパラリンピックも、同じスポーツ。僕の中では違いはない」

と言う緑夢選手。パラ陸上にも挑戦し、走り幅跳びで2年後の東京パラリンピック出場を目指しています。さらに、オリンピック出場の夢もまだ諦めていないとか。

「自分が大会で活躍することで、障がいのある人や、ケガで引退を余儀なくされたスポーツ選手に希望を与えたい」

今後の活躍にも期待しましょう。

3月19日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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