本日はJ-POPの礎を作り上げた名作曲家・すぎやまこういちの誕生

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【大人のMusic Calendar】

本日4月11日は、作曲家・すぎやまこういちの誕生日。87歳を迎える現在もなお、日本の音楽界を見守る重要な存在である。

すぎやまといえば、否が応でも「ドラゴンクエスト」の人、というイメージが強い。1990年代初頭、GS時代を懐古するテレビ番組に彼がVTR出演した際、「GSによってもたらされた日本大衆音楽の西洋化のおかげで、ドラクエのようなゲーム音楽が大衆に受け入れられることも可能になった」というような発言をしたのを筆者は覚えているが、いくらなんでもそれは違うだろ、と思った。自らゲームマニアであることを認め、その世界に入り込むことでプレイヤーの感情と同化し、それを刺激する音楽を作る手腕を持つ彼の業績は、確かに近年のゲーム音楽クリエイターにまで多大なる影響を与えているが、そこに至るまでの歩みを見過ごすことは決してできないのだ。

よく知られているように、すぎやまと大衆音楽の関わりの始まりは、1959年、フジテレビの社員として大ヒット番組「ザ・ヒットパレード」のディレクターを務めたことだ。それまでの歌謡史を作り上げてきた数多の作曲家とルーツを異にする、元祖メディアクリエイター(当時のテレビの勢いは、まさにニューメディアと呼ぶに相応しいものだった!)とでも呼ぶべき立ち位置から音楽作りを始めた彼のスタンスは、まさにJ-POPの父と呼んでもおかしくない。まずはあの「ザ・ヒットパレード」のおなじみのテーマ曲が、作曲家・すぎやまこういちにとって名刺代わりの一曲となる。
この番組をきっかけに深い関係が始まるザ・ピーナッツへの楽曲提供は、フジ退社の翌年となる66年に発表された「ローマの雨」から本格的にスタート。また、ハウス・バンドとして番組に関わっていたブルー・コメッツの単独デビューに際しても、積極的に進言している。ブルコメ初の歌ものシングル「青い瞳」の作詞家として起用された橋本淳は、元来すぎやまの弟子かつパーソナルアシスタントであったが、ここから文中に登場する68年までの曲の大半の作詞を手がけ、和製ポップス高度成長期の詩的側面をリードする事になる。
同じく66年には、日本グラモフォン(後のポリドール→ユニバーサル)で洋楽ディレクターを務めていた、後に筒美京平となる男の処女作曲作品「黄色いレモン」に作曲家名義貸与を行っている。この曲はレコード会社の壁を越えた競作となったが、既にフリーに転じた先輩にして恩師であるすぎやまの温情が、後に大出世する筒美の作曲家生活のスタートの起爆剤となったのは見逃せない。ちなみに本命盤と言えるグラモフォン盤を歌った藤浩一とは、言うまでもなく後の子門真人である。このような「影の活動」も決して見過ごせないものであった。

本日はJ-POPの礎を作り上げた名作曲家・すぎやまこういちの誕生

67年にはいよいよザ・タイガースへの楽曲提供をスタート。デビュー曲「僕のマリー」を皮切りに、「シーサイド・バウンド」「花の首飾り」など数々の名曲は、日本のポップスの流れを見事に変えてしまった。GSへの楽曲提供としては、シャープ・ホークス「遠い渚」やザ・カーナビーツ「泣かずにいてね」も印象に残るが、永遠性という点ではヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」に軍配が上がる。元々この曲は66年、青山ミチのために書かれ「風吹く丘で」として世に出たが、不慮の事態に祟られお蔵入り同然状態に。その後、ヴィレッジによって救われ、2002年には島谷ひとみによって再びリバイバルヒット。時代を超えて愛された一曲となった。
GS時代のガールシンガーの曲としては、堀内美紀に提供した狂おしい名曲「恋の呪文」、のちにしばたはつみとして大出世するはつみかんなが若々しい個性を全開する「乙女の季節」(ともに68年)など、実力派歌手に提供したものが特に見逃せない。ちなみに、現在では一部で6桁プレミア価格がつけられることさえある「恋の呪文」の一部シングルジャケットに「作曲・編曲 森岡賢一郎」とあるのはミスクレジットである。

本日はJ-POPの礎を作り上げた名作曲家・すぎやまこういちの誕生

70年代の作品では、何と言ってもガロ「学生街の喫茶店」(72年)。この大ヒット曲も、当初はB面扱いであった。時代の先端を行くフォークグループの第3弾シングルとしては、洗練された曲調の「美しすぎて」の方が遥かに自信作と思われた。しかし、ラジオから火が付きまさかの大ブレイク。「亜麻色の髪の乙女」を凌ぐウルトラCを演じてみせた。
その後も、決して歌謡曲の王道を意識することなく我が道を行き、クリエイティヴ面を極めんとアニメソング、さらにはゲーム音楽にまで挑むその姿勢。それ自体が「クエスト」なすぎやまワールドであるが、やはり代表作を一曲選ぶとなると、ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」(67年)にとどめを刺したい。なかにし礼とのタッグこそ、あえて言わせてもらうが奇跡のコンビ。いかなる怪獣もひれ伏す、歌謡史に燦然と輝くビッグスタンダードを、この二人は生んだのだ。これ以上の言葉は敢えて言わないことにする。

本日はJ-POPの礎を作り上げた名作曲家・すぎやまこういちの誕生

ザ・ピーナッツ「ローマの雨」ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」ガロ「学生街の喫茶店」ジャケット撮影協力:鈴木啓之&中村俊夫

【著者】丸芽志悟(まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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