33歳で行ったパラグアイ~そこで武田修宏に起こったこと

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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、元サッカー日本代表でサッカー解説者の武田修宏が出演。パラグアイのチームでプレーした経験について語った。

黒木)今週のゲストは元サッカー日本代表、サッカー解説者の武田修宏さんです。
サッカー界で平成になってから変わったことの1つに、日本人選手の海外チームへの挑戦があります。武田さんは先駆けでしたね。

武田)南米のパラグアイです。32歳のときに戦力外通告を当時所属していたチームに言われて、古巣のヴェルディに戻ったのですが、半年間試合に出られませんでした。半年も試合に出ていないので、このままサッカーを続けていても、引退かなと思いました。
そのときに、Jリーグで93年に活躍した選手が南米パラグアイで監督をしていて、私をスカウトしてくれた。「辞めるか、海外へ行くか」となり、サッカーがやりたくて1人で、飛行機で約24時間かけてパラグアイに行きました。

黒木)2回くらい乗り換えるのですよね。

武田)そうです。アメリカで乗り換えて、12時間待って、そこからまた12時間です。
それで、パラグアイでプレーしました。留学と違って南米のパラグアイのリーグで、3試合で監督がクビになってしまって、私も試合に出られませんでしたが、南米でプレーしたことは本当に財産になったと思います。
南米ではサッカーは生活の一部ですし、サポーターは熱いですし、いいプレーには拍手、悪いプレーにはブーイングです。僕らの監督が3敗して負けて暴動が起きました。南米に1人はかなりハングリーになれます。いま思うと、そういう場所でプレーできたのは、いい経験でした。

黒木)言葉は大丈夫でしたか?

武田)スペイン語を覚えて、言葉が喋れる幸せを感じました。試合前にホテルへ行って、みんなスペイン語で喋るのですが、日本語が話せないのは「こんなに言葉はストレスなのか」と思いました。やはり言葉は喋らないとダメですね。

黒木)半年間試合に出ていなくて、調子はどうでしたか?

武田)調子は良かったのですが、肉離れしてしまいました。南米は日本みたいなきれいな芝ではなく、デコボコの硬い土でやる草サッカーみたいな感じです。牛が歩いているようなところでみんな練習します。
だから、南米選手はトラップや身体の使い方が上手いのです。ヨーロッパと違って南米では裸足でサッカーしたり、そういう悪い環境でやっている。メッシ選手も、小さい頃から大人とサッカーしている。だから、身体で分かるのでしょう。「どうしたら蹴られないか」とか覚えるのです。そういうなかで上手くなる。僕はそういうところでやらせてもらったことで、身体で「だから南米のサッカーは強いんだな」と感じました。33歳で夢を持って行って、よかったと思います。

33歳で行ったパラグアイ~そこで武田修宏に起こったこと
武田修宏/元サッカー日本代表、サッカー解説者

■1967年・静岡県浜松市出身。
■小学校1年生からサッカーを始め、中学校3年生でジュニアユース日本代表に選出。
■サッカーの名門・清水東高校に進学し、1年生で出場した全国高校サッカー選手権で準優勝。類まれなるセンスと技術で一躍注目を浴びる。
■高校卒業後、読売クラブ(現:東京ヴェルディ)に入団。
19歳で日本代表に選出され、名実ともに日本を代表する選手として活躍。
■1993年(平成5年)のJリーグ発足時には、その甘いルックスもあり、時代を象徴するモテ男として世の女性たちを夢中にさせた。
1993年のサッカーW杯予選では「ドーハの悲劇」を経験。
■2000年にはパラグアイのチームに移籍。
■2001年に現役引退。現役通算で、新人王、MVP、4度のベストイレブンを受賞。
■引退後はサッカー解説者として活動。タレントとしても数多くのメディアで活躍。
■2006年には日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得。
(※サッカー指導者の最高位の資格。日本代表でもJリーグでも監督ができる)

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