本日1月7日ははしだのりひこの誕生日~ザ・フォーク・クルセダーズ、シューベルツ、クライマックスそれぞれのグループでヒット曲を生む

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【大人のMusic Calendar】

瓢箪(ひょうたん)の中には、沢山の駒が入っていることがある。はしだのりひこの人生を振り返ってみると、ついそんな事を思ってしまう。ザ・フォーク・クルセダーズに名を連ねたのも、ひょんなことが始まりだった。

ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)は、加藤和彦と北山修を中心に、それに、平沼義男、井村幹生、芦田雅喜が加わり、五人組のフォーク・グループとして活動していた。その後、井村と芦田は先に抜けるのだが、残ったメンバーの大学の卒業も近くなり、1967年に解散の記念として自主制作で作られたのが、かの「帰って来たヨッパライ」が収録されたアルバム『ハレンチ』だった。

その「帰って来たヨッパライ」が深夜放送で火がつき話題となり、東芝音楽工業から発売されることとなる。大ヒットを受け、加藤和彦と北山修は一年間だけという条件でプロ活動を開始する。その助っ人のような形で抜擢されたのが、端田宣彦だったのだ。

本日1月7日ははしだのりひこの誕生日~ザ・フォーク・クルセダーズ、シューベルツ、クライマックスそれぞれのグループでヒット曲を生む
長身の加藤と北山に挟まる形で、小柄な端田宣彦が鎮座する。このトリオ編成は絵的にもユニークなものであった。端田はフォークルのメジャー・デビューよりも先に、自身のグループであるドゥーディ・ランブラーズを率いて、「真っ赤なリボンとおさげのあの娘」で日本クラウンよりデビューしていた。もともと京都のフォーク系音楽集団の中心的な人物であったこともあり、その実力を買っての抜擢であったのだ。

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フォークルはたちまち人気者となり、1968年には大島渚が監督し三人が出演した映画まで撮られた。がしかし、音楽的にいえば白紙の状態であったといえる。それまでのモダン・フォークをベースにしたグループではなく、加藤、北山、端田の三人で面白いことをやってみよう。そんな野心と遊び心でスタートしている。これも「帰って来たヨッパライ」というフロックのようなヒットのおかげであったのだ。

彼らの唯一のスタジオ録音盤『紀元貮阡年』には、多重録音、テープの逆回転といったビートルズから得た手法だけでなく、ザ・ズートルビーという変名バンドを名乗ったり、「さすらいのヨッパライ」といったセルフ・パロディのような曲を書いたりと、アルバムの中にはありとあらゆるアイデアが詰めこまれている。その中で端田は、ヴォーカリストとしての才能を発揮した。

重厚なストリングス・アンサンブルで始まる「何のために」は、とても美しく、そして力強い反戦歌だ。この熱唱により、「帰って来たヨッパライ」に代表されるような珍奇な思いつきだけのグループといったイメージだけでなく、実力のあるグループとして認知されていくようになった。

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フォークルは約束どおりに1年後に解散する。ここからが端田宣彦の見せ場でもあった。京都時代の仲間でもあった、越智友嗣、杉田二郎、井上博を誘い、はしだのりひことシューベルツを結成。そのお披露目を、フォークルの解散アルバムの中でやってしまうという、実になんとも要領がいい。

そのおかげもあり、シューベルツのデビュー作「風」は大ヒットを記録し、現在ではフォークのスタンダードのひとつとなっている。その後も、「さすらい人の子守唄」「白い鳥にのって」などをヒットさせた。滑り出しは順調だったのだが、ベーシストの井上博が病気により死去。シューベルツは解散となってしまう。

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ここでまた、はしだのりひこのヴァイタリティが発揮される。今度は、藤沢ミエをヴォーカルに抜擢した、はしだのりひことクライマックスを結成。1971年には「花嫁」を大ヒットさせる。この曲も長きに渡って歌い継がれている名曲。メンバーの中嶋陽二と坂庭省悟は、京都でシューベルツの弟バンド的な存在だったマヨネーズの出身。坂庭はその後、高石ともやのザ・ナターシャー・セブンに合流し、マンドリンとギターで超絶的な技量を披露した。

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さらに1973年には、新ヴォーカリストとして林竹洋子を起用し「嫁ぐ日」を発表。この曲は、関西で人気のあった「凡児の娘をよろしく」のテーマ曲に使われたこともあり、ロング・セラーを記録している。メンバーの和泉常寛はオメガトライブの制作スタッフとなり、その後も作曲家として、黒木真由美、早見優、伊藤咲子、大場久美子などに曲を提供した。

本日1月7日ははしだのりひこの誕生日~ザ・フォーク・クルセダーズ、シューベルツ、クライマックスそれぞれのグループでヒット曲を生む
これほど短期間のうちにいくつものグループを組み、それぞれにヒット曲を生み出したのは、はしだのりひこの才能であり、プロデュース力であったのだと思う。その後はソロ活動を続けるのだが、病気療養中の妻の代わりに家事をこなす主夫として注目を集めたこともある。

1月7日は、はしだのりひこの誕生日。残念ながら2017年に亡くなられてしまったのだが、こうして書いていると、あの屈託のない笑顔が浮かんでくる。様々な運に恵まれ、多彩な人生を送った彼のことを、少し思い出してみたくなるのだ。

ザ・フォーク・クルセダーズ「帰って来たヨッパライ」ドゥーディ・ランブラーズ「真っ赤なリボンとおさげのあの娘」はしだのりひことシューベルツ「風」はしだのりひことクライマックス「花嫁」「嫁ぐ日」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。
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