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1月15日は森田童子さんの誕生日。最期の最期まで伝説のまま星になったアーティスト。
森田童子は1952年1月15日生まれ、東京都出身のシンガー・ソングライター。昨年お亡くなりになったので、追悼の意味も込めて今回は彼女について書かせていただく。
森田童子という名前は本名ではなく、あくまでもアーティスト名で「笛吹童子」が由来だそう。歌を始めたのは20歳の時に友人を亡くしたことがきっかけで、その時に作られた曲が1975年に発売されたデビュー曲「さよならぼくのともだち」という曲だ。童子がデビューした1975年と言えば、中島みゆきが「時代」でグランプリを受賞し本格的な活動を始めた年であり、山崎ハコがファーストアルバム『飛・び・ま・す』をリリースした年でもある。しかし、童子はライブ活動以外に一切メディアには登場せず、いつもサングラスをかけ写真はモノクロのものしか存在しない。デビューから約8年の間にオリジナルアルバムを6枚残し、ひっそりと音楽業界から去って行った。
そんな童子が再びクローズアップされるようになったのは、業界から姿を消してから10年後の1993年であった。野島伸司の脚本によるドラマ『高校教師』の主題歌に「ぼくたちの失敗」が起用されたのがきっかけだ。当時のドラマの主題歌は必ずといっていいほどヒットが約束されており、過去の既存曲が起用されることは非常に珍しかった。しかも、童子は知る人ぞ知るマニアックなアーティストだ。主題歌になった「ぼくたちの失敗」は1976年に発売されたアルバム『マザー・スカイ-きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか-』からのシングルカット曲で、当然チャートインを果たしていない(ちなみにアルバムは最高位44位)。そんな曲をよくもまあドラマの主題歌に起用したものだと、当時非常に感心した事を覚えている。教師と生徒の禁断の愛が描かれたこのドラマは、現在だったらコンプライアンス的に放送されない過激な内容だったが、そんなドラマの中で流れた「ぼくたちの失敗」は、当時の日本人の心に氷の刃のごとく哀しく突き刺さった。ドラマは視聴者の想像に委ねる形で最終回を迎えたのだが、とにかく美しい愛のドラマであった。最終回の視聴率は33%を記録し社会現象にもなった。当然主題歌も大ヒットし約90万枚の売り上げを記録。編集されたベストアルバムも大ヒットしている。この大ヒットを受けて、「あの人は今」的な取り上げられ方もされたが、童子は一切メディアに登場することはなかった。
10年後の2003年、ドラマ『高校教師』の続編がキャストを替えて放送され、童子の曲が再び主題歌として起用された。残念ながらドラマの方は前回ほど話題にはならずヒットにはならなかったが、このドラマに合わせてベストアルバムが発売になった。タイトルは『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』。しかし、このベストアルバムはただのベストアルバムではなかったのだ。16曲目に収録された「ひとり遊び」は、なんと新録音だったのである。1980年に発売されたアルバム『ラストワルツ』に収録された「海が死んでもいいョって鳴いている」の歌詞を一部変えて収録している。いわゆる宅録という方法で録音された曲だそうだが、実はこのような形でひっそりと復帰していたのだ。しかし、その後もほぼメディアに登場することはなかった。
童子が亡くなったのは、2018年4月24日だったそうだが、それを我々が知ったのは6月に入ってからであった。JASRACの会報誌の訃報の知らせに名前が掲載された事がきっかけだが、いかにも童子らしい最期だったと思う。伝説のアーティストであった森田童子は、最期まで伝説のまま星になったのであった。ご冥福をお祈り申し上げます。
森田童子「さよならぼくのともだち」「ぼくたちの失敗」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】長井英治(ながい・ひではる):女性シンガー・ングライター専門家、音楽ライター、ラジオパーソナリティ、コメンテーター。1990年~2006年まで大手レコード・ショップにてJ-POPのバイヤーとして勤務。その後はモバイルの音楽サイトや音楽SNSの運営に関わりながら、CDの監修などに関わる。ラジオ「ラジオ歌謡選抜」(2011年~)、「ファムラジオ」(2014年~)、テレビ「QVC(2014年~)」に出演中。