元横浜・ロッテ監督・近藤昭仁 原監督が教えられたその厳しさ

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、27日に亡くなった「球界の知恵袋」こと、元横浜・ロッテ監督、近藤昭仁さんのエピソードを取り上げる。

元横浜・ロッテ監督・近藤昭仁 原監督が教えられたその厳しさ

プロ野球 巨人秋季キャンプ初日 近藤昭仁ヘッドコーチと話す原辰徳監督  撮影日2005年10月25日 提供産経新聞

「近藤さんに教えられたのは、指導者たるや、みたいな部分。『時には鬼になる必要がある』というところ」

27日未明、敗血症性ショックのため亡くなった近藤昭仁さん。訃報が伝えられると、巨人・原辰徳監督はそう語り、故人を偲びました。

近藤さんは早稲田大学を経て、1960年、大洋ホエールズ(DeNAベイスターズの前身)に入団。俊足でバントも守備もうまく、配球を読む力を早大の先輩・三原脩監督に買われ、1年目から二塁手に抜擢。日本シリーズでも大活躍し、ルーキーでは異例のシリーズMVPに輝きました。この年の「三原マジック」を語る際、欠かせない選手の1人です。

引退後は、大洋(横浜)・ヤクルト・巨人・西武・ロッテの在京5球団でコーチと監督を歴任、「球界の知恵袋」と呼ばれた近藤さん。西武時代は、広岡達朗監督の下で黄金期を支えました。

その手腕を買って、参謀役として巨人に招いたのは、89年から指揮官に復帰した藤田元司監督です。藤田監督と近藤さんは、ともに大洋でコーチを務めた間柄で、巨人のヘッドコーチに就任した近藤さん。みごと1年目から巨人を8年ぶりの日本一に導きました。

当時、原監督は現役時代の晩年でしたが、この年の日本シリーズ、第4戦までノーヒットと大不振に陥っていた主砲を、近藤ヘッドは陰で激励。不振脱却のヒントを与え、第5戦、原は勝負を決める満塁ホームランを放ったのです。ダイヤモンドを一周した際、三塁コーチの近藤ヘッドに思わず抱きつくシーンもありました。

そんな縁もあって、原監督は、第2次政権がスタートした2006年、ヘッドコーチとして再び近藤さんを巨人に招聘。しっかりした野球理論を持つ一方で、ときに選手を叱りつけ、鬼軍曹のように厳しく接した近藤ヘッドの指導術には、原監督も学ぶところが多かったようです。

「本当に厳しい先輩でね。一緒に監督、コーチという立場でもやらせていただいた。素晴らしい先輩であり、野球人であったと思います」

93年から3年間、横浜ベイスターズの初代指揮官を務め、97年から千葉ロッテマリーンズの監督を務めた近藤さん。どちらも最下位を経験し、ロッテ監督時代に喫した18連敗がよく取り上げられますが、選手層が薄いチームの立て直しを任され、横浜では、鈴木尚、波留、谷繁、ロッテでは黒木、小坂ら若手選手を辛抱強く起用。一本立ちする道筋をつけた功績は忘れてはいけません。

亡くなる直前まで、原監督が復帰した巨人のことを気に懸けていたという近藤さん。ヘッドコーチ時代に恩人が示してくれた「厳しさ」を胸に、今年、原監督は「鬼」になり、5年ぶりのV奪回を目指します。

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