#42 西武 1イニング6ホームラン

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#42 西武 1イニング6ホームラン

 

◎1986年8月6日 藤井寺球場

西武  0 0 0  0 0 0  2 7 0  =9

近鉄  3 0 1  2 0 0  1 2 0  =9

HR(西武)秋山26号・27号 西岡7号 清原13号 石毛14号

ブコビッチ12号 大田5号

(近鉄)羽田4号 淡口6号 新井8号

 

今年7月2日、エスコンフィールドHOKKAIDOで行われた日本ハム-オリックス戦で1回裏、日本ハムの1番・水谷瞬→2番・水野達稀→3番・フランミル・レイエス→4番・万波中正が続けてホームランを放ち「初回先頭打者から4者連続本塁打」という快挙を達成した。4者連続は過去にも例があるが、初回先頭からいきなり4連発は史上初。ファイターズファンにとってはいきなり嬉しい“花火4連発”となった。

 

これに負けない“花火乱れ打ち”というと、今からちょうど40年前に達成されたNPB記録「1イニング6本塁打」だろう。いまだに破られていないこの記録、達成したのは西武ライオンズ。球場は近鉄バファローズの本拠地・藤井寺球場だった。

 

1986年8月6日。このときパ・リーグ首位を走る近鉄は、2位・西武と頂上決戦を行っていた。両者のゲーム差は「3」。なんとか西武を突き放そうと、初回にいきなり3点を先制して主導権を握ると、その後も追加点を重ね、7回までに7-2とリード。迎えた8回、近鉄・岡本伊三美監督は7回2失点と好投を見せていた先発・村田辰美に代えて、守護神・石本貴昭を投入した。

 

クローザーを8回から、しかもセーブが付かない5点差の場面で起用するのは、現在の感覚だと「?」だが、当時はこういう起用はよくあった。石本は当時23歳のサウスポーで、この年リーグ最多の32セーブを挙げた実力者。前の登板から中3日と休養も十分で「若いし8回から行けるやろ」という感じだ。このときの西武は、森祇晶監督の就任1年目。前任の広岡達朗監督からバトンを受け継ぎ、リーグ連覇を狙っていた。岡本監督も相手が西武だけに石橋を叩いたのだろう。

 

近鉄のマスクをかぶっていたのは、のちに監督となる梨田昌孝だった。万全のクローザー投入だったはずが、梨田が「15年もキャッチャーをやっていて、初めてのとんでもない経験だった」と語る出来事が起こるのだから、野球は本当に何があるかわからない。

 

まずはこの回先頭、西岡良洋が打席へ。西岡は左投手キラーで、石本にも分が良かった。西岡は、石本が投じた内角高めのストレートを振り抜くと、打球はレフトポール内側に入るソロアーチに。結果的にこの一発が大きくモノを言った。西岡はこの打席で石本の球筋を観察。石本は適度な荒れ球が持ち味だったが、この日はいつもよりも荒れていないことを見極めていたのである。ダイヤモンド一周後、西岡はコーチにそのことを報告。荒れ球がないなら、思い切って踏み込んでいける。「きょうの石本は怖くないぞ!」という伝令が西武ベンチ全体に伝わった。

 

この日の石本は本調子ではなかったようで、続く伊東勤に死球を与え、続くバッターはPL学園から鳴り物入りで入団したスーパールーキー・清原和博。清原は初球、外角のストレートを流し打ち、打球は右翼ラッキーゾーンに飛び込む2ラン。高卒新人が、8月上旬の時点で「13号」を打っているのだから驚く。最終的にこの年、清原はホームランを31本放ち、桑田武(1959年、大洋 桑田は大卒選手)と並ぶ新人本塁打タイ記録を達成。広島との日本シリーズでは全試合4番を打ったのだから恐れ入る。清原の2ランでスコアは7-5。試合はわからなくなった。

 

続く辻発彦は三振に倒れたが、打順がトップに返り、1番・石毛宏典が真ん中に甘く入った真っ直ぐをバックスクリーン右に叩き込んで、7-6と1点差に。2番・笘篠誠治はレフトフライに倒れたが、荒れ球のない石本に、いったん火のついた西武打線を止める力はもはや残っていなかった。3番のジョージ・ブコビッチが初球のスライダーを叩くと、打球はライトスタンドへ飛び込み、7-7の同点! 石本は涙目でマウンドを降りた。

 

近鉄ブルペンは、想定外の事態に慌てただろう。急仕上げでマウンドに立った谷宏明の初球を4番・秋山幸二が狙い打ち。左中間スタンドに2打席連続の27号アーチをかけて、ついに逆転。最後は「必殺仕事人」こと代打・大田卓司が、依田政彦の真ん中高めの直球を豪快に振り抜きレフトスタンドへ。西武打線は、それまでの5本を超える「1イニング6本塁打」のNPB新記録を達成した。

 

秋山が打った1本目も含め、この試合7発の花火を打ち上げた西武打線……と書くと当然西武が勝ったと思われるだろうが、近鉄も8回裏に2点を取り返し、試合は9-9で引き分けになったのも驚きだ。両チーム合わせて10本のホームランが飛び出したのは、藤井寺球場の外野フェンスが低かったことも理由だが、翌年から外野に高さ2mほどのネットが取り付けられた。通称は「レオネット」。いかにこのときの本塁打攻勢が凄かったかを物語るエピソードだ。

 

<チャッピー加藤>

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