#49 長嶋清幸(広島) 2試合連続サヨナラホームラン

By -  公開:  更新:

#49 長嶋清幸(広島) 2試合連続サヨナラホームラン

 

◎1984年9月15日 広島市民球場

巨人 1 0 1  0 0 0  0 0 0  =2

広島 0 0 0  0 0 0  0 0 3X =3

HR(広島)長嶋12号

 

◎1984年9月16日 広島市民球場

巨人 0 0 0  0 0 0  0 0 0 0 0 0  =0

広島 0 0 0  0 0 0  0 0 0 0 0 1X =1

HR(広島)長嶋13号

 

1980年代の広島カープは強かった。1980年~89年までの10シーズンで、80年・84年・86年と3度も優勝。2位が4度、3位が2度と82年を除きすべてAクラスで、80年・84年は日本一に輝いている。強さの背景にあるのは、チームの伝統ともいえる「猛練習」であり、生え抜きの若手を叩き上げで主力へと育てていく姿勢は、現在のカープにも受け継がれている。

 

また80年代のカープには、数字上は目立たなくても、ファンの記憶に残る個性的な選手が何人もいた。その1人が長嶋清幸だ。1979年、静岡・自動車工業高校(現・静岡北高校)からドラフト外で広島に入団。プロ1年目が1980年で、1990年まで11年間在籍したまさに「80年代カープの申し子」だ。

 

入団時の背番号は「66」だったが、4年目の1983年から背番号を「0」に変更。今でこそ普通だが、当時、日本のプロ野球界に「背番号0」の選手は誰もいなかった。「ひとケタの背番号がいいな」と考えていた長嶋は、1982年、メジャーで背番号「0」のアル・オリバー(エクスポズ)が首位打者・打点王の2冠王に輝いたのを見て、当時の指揮官・古葉竹識監督に変更を打診。「面白いな、それ」とOKが出て、長嶋は日本球界で初めて「背番号0」を背負った選手となった。この年、全130試合出場を果たし、外野のレギュラーの座を獲得したので「ゼロから心機一転」の効果はあったわけだ。

 

当時長嶋は勝負強い打撃を買われて、4番・衣笠祥雄、5番・山本浩二の後の6番を打つことが多かった。チャンスでよく期待に応えてみせたのは、メンタルコントロールに長けていたからだ。2死満塁などのしびれる場面でも「気持ちの持っていき方が苦ではなかった」と言う長嶋。ピッチャーが投げてからスイングするまで、いかに冷静に自分を保てるかを常に意識していたそうだ。そんな長嶋ならではの快挙が達成されたのが、プロ5年目、1984年9月のことだった。

 

この年、広島は首位を走っていたが、巨人が8月下旬から10連勝するなど猛然と追い上げを見せ、9月中旬に広島市民球場で直接対決。9月15日の試合、巨人は江川卓と並ぶエース・西本聖が先発した。広島は0-2と巨人にリードを許したまま、最終回の攻撃を迎えた。ここで広島は粘って無死一・二塁のチャンスを作り、打席には長嶋。ここでベンチからは「打て!」のサインが出ていたが、長嶋は「セオリー通り」を装い、バントの構えをした。巨人バッテリーはこれにまんまと騙される。打つ気がないように思わせて一転、ヒッティングに切り替えた長嶋の打球は、なんと外野スタンドに飛び込む逆転サヨナラ3ランに! 巨人に与えたダメージは大きかった。

 

翌16日、もう負けられない巨人は江川が先発。「初めて江川さんと対戦したとき、タイミングをとっていたら、投球がもうミットに入っていた」と言う長嶋。プロでやって行くには“怪物・江川”の球を打たないとダメだ、と猛練習に励んだ。ピッチングマシンにどんどん近づいて打つ練習もしたという。その成果が、このゲームでも出た。

 

試合は0-0と、ともに決め手を奪えないまま延長12回に。今なら9回で交代しているだろうが、時代は昭和、江川はまだマウンドにいた。この回、1死ランナーなしの場面で、再び長嶋に打席が回る。実は10回にも打席が回ってきたが、そのときは前日のことがあるので、山倉和博捕手に「勝負しないよ」と言われたそうだ。

 

しかし12回、巨人バッテリーは真っ向勝負に出た。フルカウントからのカーブを叩くと、打球はポール際ギリギリに飛び、あわやホームランというファールとなった。「2日連続サヨナラホームランなんて、そんなに世の中、甘くはないよな」と思った長嶋。だが「2球連続カーブはない、次は真っ直ぐで決めに来るはずだ」と冷静に読んだ長嶋は、直球一本に的を絞りバットを振り抜くと、打球は外野スタンドへ! 西本・江川の2枚看板を打ち砕く長嶋の2試合連続サヨナラ弾(史上4人目)で、広島はマジック「12」が再点灯。巨人の逆転Vの夢を打ち砕く、値千金の2発となった。

 

「俺はいつも生きるか、死ぬかの気持ちで打席に立っていた」と言う長嶋。「ミラクル男」と言われた彼は、この1984年の日本シリーズでもその勝負強さをいかんなく発揮し、MVPに輝いている。

 

<チャッピー加藤>

Page top