#51 山﨑武司(中日) 11年ぶりVに導く逆転サヨナラ3ラン

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#51 山﨑武司(中日) 11年ぶりVに導く逆転サヨナラ3ラン

 

◎1999年9月26日 ナゴヤドーム

阪神 0 0 0  1 0 0  0 0 3  =4

中日 1 0 0  0 0 1  0 0 3X =5

HR(阪神)ジョンソン20号

(中日)福留16号 山﨑28号

 

「オッさん、ボケー! 俺を使ったら打つんじゃー!」

 

ひと振りで試合をひっくり返し、優勝に大きく前進する一発をスタンドに叩き込んだ直後、ベンチにいる中日・星野仙一監督に向かってそう言い放った猛者がいる。中日で通算18年プレー。オリックスに2年、楽天にも7年在籍し、現役27年間で403本塁打を記録した山﨑武司だ。「セ・パ両リーグでホームラン王」という偉業も達成している。

 

山﨑は愛工大名電高校時代からパワーのある打撃で注目され、1986年のドラフトで地元・中日から2位指名を受けて入団した。しかし、1994年までのプロ8年間で打ったホームランは通算11本。打球を遠くへ飛ばす潜在能力は誰もが認めながら、故障にも泣かされ、なかなかレギュラーの座をつかめなかった。

 

1994年オフに結婚。食生活を改善して減量に成功した効果もあって、山﨑は1995年に初の2ケタとなる16本塁打を記録。この年も故障による長期離脱が2度あり、1軍出場は66試合に止まったにもかかわらず、である。翌1996年、星野監督が中日の指揮官に復帰。山﨑の成長ぶりを見た星野監督は、「6番・山﨑、7番・大豊泰昭」と長距離砲2人をあえて下位に据えるオーダーを採用した。当時の本拠地は狭いナゴヤ球場。クリーンアップ(立浪和義、アロンゾ・パウエル、音重鎮)を打ち取っても、一発のある山﨑・大豊が控える打線を組めば、相手投手も気が抜けないだろうと考えたのだ。この策が当たった。

 

1996年、山﨑は39本、大豊は38本のホームランを放ち、2人でなんと77発! 山﨑は大豊と巨人・松井秀喜(この年38本)を1本差で抑え、初のホームラン王に輝いた。中日打線は「強竜打線」と恐れられ、チームも2位となったが、翌1997年は一転、最下位に沈んでしまう。この年から本拠地が広いナゴヤドーム(現・バンテリンドームナゴヤ)に移転。山﨑はホームランが前年の半分以下の19本に減り、大豊も12本と激減したことや、グラウンドの広さを活かした野球ができなかったことも敗因だった。

 

そこで星野監督はオフに大ナタを振るう。大豊と矢野輝弘(現・燿大)を阪神にトレード。交換で関川浩一と久慈照喜を獲得したのだ。機動力があり外野の守備範囲も広い関川と、ショートで堅実な守備を誇る久慈が加入し、「一発攻勢で打ち勝つ野球」から「機動力で先取点を奪い、守り勝つ野球」への転換を図った星野監督の戦略が実り、中日は2位に躍進。だが広いドームだと外野守備を任せづらく、必然的に一塁しか守れない山﨑は微妙な立場に置かれることになった。

 

1999年、中日は開幕11連勝を記録して開幕ダッシュに成功。山﨑も開幕から5月までは好調だったが、6月から不振に陥ると、たびたびスタメンを外されるようになった。右方向に打ってほしい場面でも、強引に引っ張りにいく山﨑に業を煮やした星野監督は「引っ張ったら、もう使わんからな!」と警告。「優勝しても、お前は日本シリーズでは使わんぞ!」と厳しい言葉を放ったことも。9月、首位の中日は優勝マジックを順調に減らしていたが、山﨑は先発で出場した試合でも途中で代えられるなど、ずっとモヤモヤした気分を抱えていたという。

 

いよいよ優勝がカウントダウンに入った9月26日、ナゴヤドームで行われた阪神戦。この試合がホーム最終戦だった。当然勝ってマジックを減らし、満員のファンを喜ばせたいところ。試合は8回まで中日が2-1とリード。9回に守護神・宣銅烈が登板したが、代打マーク・ジョンソンに3ランを打たれ、2-4と試合をひっくり返されてしまう。

 

逃げ切るはずが一転、2点差を追うことになった中日。この回から登板した阪神・福原忍に対し、主砲レオ・ゴメスと立浪の連打で1死一・二塁のチャンスを作る。ここで打順は山﨑に回った。こうなるとこの男は燃える。1ボールの後、福原が投じた147キロの真っ直ぐを振り抜くと、打球は一直線で右翼スタンドへ飛び込み、優勝に大きく前進する逆転サヨナラ3ランに! ホームベース上で仁王立ちになり、両手を突き上げ、腕をグルグル回した山﨑は、ベンチの星野監督に向かって吠えた。それが冒頭の「オッさん、ボケー! 俺を使ったら打つんじゃー!」である。

 

ダイヤモンドを一周した山崎は、ホームでナインにもみくちゃにされ、目を潤ませて出迎えた星野監督と抱き合ったが、「首はソッポを向いていた」と言う山﨑。上におもねることが嫌いな彼らしい。4日後の9月30日、11年ぶりの優勝を決めたヤクルト戦で、山﨑は一塁守備の際に相手選手と接触。左手首を骨折したため、ビールかけには参加できなかった。ダイエーとの日本シリーズも欠場したが、星野監督は「ここまでやったんだ。お前も一緒に九州へ行くぞ」と声をかけてくれたという。厳しい言葉の数々は、愛情の裏返し。くしくも2人は12年後の2011年、楽天で監督と選手として再び出逢うことになる。

 

<チャッピー加藤>

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