
◎2013年9月15日 神宮球場
阪神 0 0 0 0 0 0 0 0 0 =0
ヤクルト 3 0 2 0 0 1 1 2 X =9
HR(ヤクルト)バレンティン 56号・57号 飯原2号
「1アウト2塁、1対0リードのヤクルト。榎田、投げた。打った!左中間、伸びていく! 伸びていく! これは行っただろう! 入ったー! ついに出た! ヤクルト・バレンティン、日本新記録、56号の2ランホームラン! 出ました、出ました! バレンティン! 球場のお客様は総立ちです!“ココ”バレンティン、右の拳を突き上げた!城石コーチとハイファイブ!今、祈りを捧げるポーズ。天を仰いで、ホームイン!バレンティンの日本プロ野球新記録・56号ホームランは、初対決の榎田から打ちました!」(実況:松本秀夫アナウンサー)
「55」という数字がいかに重かったか……巨人・王貞治(現・福岡ソフトバンクホークス会長)が1964年に打ち立てた「シーズン本塁打日本記録・55本」は、更新されるまで実に49年を要した。王の記録を破る「56号」を初めて打ったのは、2013年、「ココ」の愛称で親しまれた、ヤクルトのウラディミール・バレンティンである。
バレンティン以前に、王の記録に肉薄した、もしくは並んだ選手は3人いた。いずれも外国人選手で、1985年のランディ・バース(阪神、54本)、2001年のタフィ・ローズ(近鉄、55本)、2002年のアレックス・カブレラ(西武、55本)だ。
バースは54号を打った後、まだ2試合を残していたが、どちらも王監督率いる巨人戦だった。1戦目はエース・江川卓が全打席真っ向勝負を挑んでくれたが、最終戦は巨人の投手陣が勝負を避けた結果、バースは55号を打てなかった。王監督が直接敬遠を指示したわけではないが、投手陣が「もし自分が打たれて監督の記録に並ばれたら……」と及び腰になったのも無理はない。「打たれなければいい話」と逃げなかった江川は立派だった。
2001年のローズは、西武のエース・松坂大輔から55号を放ち、37年ぶりに王の記録に並んだ。翌2002年にもカブレラが55号を打ったが、2人ともその時点で5試合を残しながら「56号」は打てなかった。王監督率いるダイエー戦が絡んだこともあるが、他チームの投手たちも不名誉な形で名前が残るのを嫌ったのか、多くの打席で勝負を避けたからだ。
当時、「外国人に、王の偉大な記録を抜かれてたまるか」という差別的な言葉を口にする野球ファンが少なからずいて、「記録は更新するためにあるんだから、誰が抜いたっていいじゃないか」と反発を覚えた記憶がある。王氏も同じ思いだったはずだ。
それからさらに10年以上経った2013年、ついに「55」を超える選手が現れる。2011年、米3Aのチームからヤクルトに入団したバレンティンは、来日1年目に31本、2年目も31本の本塁打を放ち、2年連続で本塁打王に輝いた。2年目の2012年は右臀部の肉離れで一時戦線を離脱。106試合出場で、規定打席にも到達しなかったのにタイトルを獲ったのだから凄い。
3年目の2013年、この年は開幕前にWBCが開催され、オランダ領キュラソー島出身のバレンティンはオランダ代表として出場。このとき負傷したため開幕は出遅れ、4月半ばからの1軍出場となった。にもかかわらず、日本の野球になじんだバレンティンはハイペースで本塁打を量産。7月13日に30号を打ち「このペースなら55本を抜くぞ!」とマスコミも騒ぎ出した。8月にはなんと月間18本塁打の日本新記録を樹立。8月27日に50号に達して、記録更新は確実な状況になった。時代も変わり、このときは「外国人だから云々」を言うファンもいなかったように思う。
9月11日、ホーム神宮球場で行われた広島戦で、バレンティンは3試合連続の本塁打を大竹寛から放ち、ついに55号に到達。さあ、56号はいつ出るのか? 世間の関心も高まり、筆者も神宮球場に日参した。そして55号から4日後の9月15日、阪神戦の初回、第1打席でいきなり歴史的一発が生まれた。バレンティンは、阪神先発・榎田大樹が投じたシュートを叩くと、打球はバックスクリーン左へ。実況にもある通り、スタンドは総立ち。約半世紀ぶりの快挙に、筆者もスタンディングオベーションに加わった。
「スローモーションのように時間が過ぎて、まだ夢の中にいるような、これは錯覚なのかと思うようでした」と語ったバレンティン。驚いたのは3回、第2打席でも榎田から2打席連続の57号を、カウント3-0から左翼ポール際に放ったことだ。「いったい何本打つんだ?」と思ったが、残り18試合で積み重ねたアーチは3本に終わり、最終的に60本でシーズンを終えた。2022年にヤクルトの後輩・村上宗隆が日本選手として初の56号を放ったが、バレンティンが樹立した「シーズン60本」は13年経った今も日本記録のままだ。
56号を打った試合後の会見で、バレンティンはこう語った。「ファンのみんなを、僕は家族だと思っているよ。みんなが応援して協力してくれたから、記録を達成できた。これはみんなと一緒に作った記録だよ」
<チャッピー加藤>





