佃煮が伝統的な和食になった理由

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戦国武将、織田信長が明智光秀の謀反によって生涯を閉じた『本能寺の変』によって、信長の盟友・徳川家康はそのときにいた大阪・堺から、必死の思いで三河・岡崎城へと戻りました。このとき家康を助けてくれたのが、大阪・佃村、現在の西淀川区佃の庄屋、森孫右衛門さんと漁師たちでした。

そのとき、川を渡るための船と一緒に、家康に差し出したのが“小魚を煮たもの”で、そのお陰で無事に岡崎城へと帰ることができました。

その後、家康は天下を統一して江戸に幕府を開きましたが、それに合わせてお世話になった森孫右衛門さんと、佃村の漁師さん33人を江戸に招きました。これをキッカケに、森孫右衛門さんと漁師たちは江戸で暮らすようになりますが、その際に住む場所として用意されたのが江戸湾河口の干潟でした。

その後、干潟を拡張して譲り受けて、その島の名前を故郷の佃村にちなんで『佃島』としました。

そこで大阪にいたときと同じように、江戸湾で獲れた魚を煮て、佃煮を作り、自分たちで食べていました。その佃煮の保存性の良さや美味しさが広まって、やがて商品として売り出されるようになりました。さらに参勤交代によって、武士たちが佃煮を江戸の土産として地元に持ち帰ったことで、全国にも広がって行きました。

こうして現在、佃煮は全国各地で作られるようになり、伝統的な和食の代表になっています。

スズキ・ハッピーモーニング 鈴木杏樹のいってらっしゃい

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