佃煮と「本能寺の変」の意外な関係とは?
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佃煮の名前は、現在の東京都中央区にあった地名『佃島』が由来とされていますが、佃煮そのものの原型は大阪だと言われています。
1582年、戦国武将・織田信長が明智光秀の謀反によって生涯を閉じた『本能寺の変』が起こりました。『本能寺』は京都にある寺ですが、このとき織田信長の盟友・徳川家康は、大阪・堺に滞在中でした。本能寺で信長が討たれたことを知った家康は、次は自分が命を狙われる…と身の危険を感じて、自分の城がある、三河(現・愛知県)の岡崎城に戻ることにしました。
ところが家康一行が帰る道は、光秀の部下が待ち伏せしていたため、逆の方向に進むことになりました。そして大阪北部を流れる『神崎川』にやって来ましたが、川を渡るための船がなかったため、足止め状態になってしまいました。それを知った大阪の佃村(現・西淀川区佃)の庄屋、森孫右衛門さんと漁師たちが、船を提供してくれました。
そのとき、船と一緒に差し出したのが“小魚を煮たもの”でした。この“小魚を煮たもの”は日持ちが良くて、さらに栄養価にも優れていたこともあって、それを食べながら家康は無事に岡崎城へと帰ることができました。家康は佃村の人々にとても感謝し、それ以来、佃村の人々と結び付きを深めて行きます。
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