高田文夫 玉置宏さんから受け継いだ芸の神髄とは?

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ニッポン放送開局記念日スペシャル「おかげさまで65周年”あなたとROCK&GO”」(7月15日放送)に、高田文夫が出演し、ラジオ番組「ラジオビバリー昼ズ」のエピソードを披露した。

高田文夫 玉置宏さんから受け継いだ芸の神髄とは?
高田文夫は放送作家として、1981年から「ビートたけしのオールナイトニッポン」を担当。作家でありながら、ビートたけしとの掛け合いトークが話題になり、ニッポン放送のラジオ番組「巨匠・高田文夫のラジオで行こう! 」に出演後、1989年から「文夫と明子のラジオビバリー昼ズ」を担当した。

「ラジオビバリー昼ズ」を担当したきっかけは、1988年に過労で倒れて仕事を整理しようとしていたタイミングにて、ニッポン放送から若者向けではない大人向けの昼の番組の企画を相談されて、担当することになったそうだ。「ラジオビバリー昼ズ」は、放送から30年を超える長寿番組になっている。

「ラジオビバリー昼ズ」が始まった頃、前の番組で「玉置宏の笑顔でこんにちは! 」があり、玉置宏さんから芸について、いろいろ教えてもらったそうだ。玉置さんから「機嫌の良いのが良い芸」と教えてもらい、また、「スタジオではスリッパを履いてリラックスして話した方がよい」と、玉置宏さんの番組が最終回を迎えた後に、スリッパを譲り受けたそうだ。

「ラジオビバリー昼ズ」では、様々な企画を行ったが、「10万円タダ企画」で八百屋さんのリスナーが500円のメロンを200名にプレゼントする企画を店頭で行い、30分で200個を配りきったそうだ。

「ラジオビバリー昼ズ」の出演者からもコメントが寄せられた。

<松本明子コメント>
1983年デビューして、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」に出演して、生放送でいろんな発言がありました。その5年後に1989年にビバリー昼ズのアシスタントの話が来て、高田先生に挨拶をしたところ、薄いリアクションで「まあいいか、よろしく」と言われてしまいました。あとで聞いてみると、アシスタントとして、アイドルの松本典子さんを発注していたのに松本明子が来た、という間違えだったそうです。番組では、地名の読み間違えなど多かったのですが、高田先生とリスナーに育ててもらい感謝しています。

<松村邦洋、磯山さやかコメント>
(松村)地元の山口でよく聞いていました。高校時代に素人でニッポン放送のラジオ番組に電話出演。それ以来ニッポン放送にお世話になっています。
(磯山)ビバリーに出演するようになってモノマネという新しいジャンルにチャレンジするようになりました。

<東MAXコメント>
「ビートたけしのオールナイトニッポン」を中学時代に聞いていました。当時は起きて全部聞くのが難しいので、オートリバース機能のカセットで録音していました。ニッポン放送には、25年前にラジオビバリー昼ズに、レポーターとして出演して、それ以来25年出演しています。当時の中継では、父・東八郎の仏壇の前で兄がテンションが高かったのが印象的でした。

<春風亭昇太コメント>
学生時代に静岡にてニッポン放送を聴いていました。「たむたむたいむ」や「オールナイトニッポン」です。そして、「ラジオビバリー昼ズ」で中継を担当するようになりましたが、スタッフとはぐれて中継に遅れたこともありました。そして、笑点の司会者の発表の翌日や、結婚会見の翌日は、高田先生に報告するためにビバリーに出演しました。報告なのでノーギャラなんですけどね。

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