球児に贈呈 「甲子園の土」に込めた阪神・矢野監督と福留の思い
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、阪神タイガース・矢野燿大監督、福留孝介選手の「高校球児たちへの思い」にまつわるエピソードを取り上げる。
新型コロナウイルスの影響で、春のセンバツに続き、夏の選手権も中止となった2020年の高校野球。2つの大きな目標を失った球児たちのショック……特に、戦うことなく「最後の夏」が終わってしまった3年生たちの喪失感を思うと、本当にいたたまれません。
春のセンバツ代表32校に対しては先日、救済措置が発表されました。8月10日から各校が1試合ずつ、甲子園球場で無観客の「交流試合」を行うというものです。実現に奔走した高野連スタッフ・大会関係者と、甲子園の使用を快諾した阪神電鉄・阪神球団には敬意を表します。
また、阪神の選手・スタッフは「甲子園を本拠地にしている我々だからこそ、球児のためにできることはないか?」と考え、こんな企画を発表しました。高野連に加盟する3年生の野球部員全員(約5万人)に「甲子園の土」が入ったキーホルダーを贈ることにしたのです。
土は透明なボール状のカプセルに収められる予定で、粋なアイデアですし、甲子園を目指していた3年生たちには一生の宝になるでしょう。また、部員登録している各校の女子マネジャーや、追加で女子野球部3年生への贈呈が決まったのも素晴らしいことです。
ただ、その土はグラウンドから直接集めねばならず、キーホルダーサイズとはいえ、5万人分となるとけっこうな量です。どうするのかなと思っていたのですが、6月16日、甲子園での練習前に、何と矢野監督はじめ、首脳陣・選手・スタッフが総出で作業。使う土の一部をグラウンドから直接集めました。
高校野球でおなじみのサイレンが鳴らされた後、総勢65人ほどが一・三塁側のファウルゾーンに散らばり、約10分間、直接両手で土を集め袋に取り込みましたが、みな表情は真剣そのもの。プロ選手たちの思いも込められたこのキーホルダーですが、制作費用の一部は、監督・コーチ・選手一同が出し合うそうです。矢野監督は、この企画が実現した経緯についてこう語っています。
「『何かしたい』というみんなの思いがあって、それを実現できるのは、阪神ならではのことだと思った。みんな気持ちよく『ヨシッ、やりましょう!』と一致団結して賛同してくれました」「僕たちが土を集めることで、みんなのことを応援している僕たちの思いが高校球児に届き、一歩を踏み出す後押しになれば嬉しい」
今回興味深かったのは、チーム最年長(43歳)・福留のコメントです。福留はPL学園時代、春夏合わせて3度も甲子園に出場していますが、「土を拾ったのは初めての経験です」。福留に限らず、甲子園経験者のなかには「負けても土を拾わなかった」という選手が少なからずいます。「土には興味がなかった」と言うクールな選手もいますが、強豪校出身者に多いのが「また甲子園に来ると思っていたから、拾わなかった」。
福留が土を拾わなかった理由はわかりませんが、泣きながら土を拾う選手たちの姿を彼は何度も見ていますし、その辛さもよく知っています。特に今年、試合をすることなく甲子園行きの夢が絶たれた球児たちの辛さは、痛いほどわかるはず。今回“初めての土拾い”を体験した後に、福留はこう語っています。
「チーム全員でやることに意味があると思うので、実施できてよかった。自分たちが集めた土で、少しでも高校生が前を向けたら嬉しいです」
よく「プロ野球選手は夢を与える職業だ」と言いますが、福留自身も、PL学園で春夏連覇を達成した立浪和義氏(元中日)に憧れ、同じPL学園に入り、中日で一緒にプレーする夢を叶えた過去があります。だからこそ、どんなに辛いことがあっても夢を諦めず、前を向いて進む気持ちを忘れないで欲しい……福留らしい、球児へのメッセージです。
また、今回の企画を後押しした矢野監督は大阪市立桜宮高校の出身ですが、甲子園には出場できずに終わりました。しかし、東北福祉大に進んで野球を続けた結果、ドラフト2位で中日に入団。その後、甲子園を本拠地とする阪神にトレードされ、やがて監督に昇格するのですから人生はわかりません。
「将来、このキーホルダーを持った選手たちと出逢えたら、特別な気持ちになると思う」
そう語った矢野監督。甲子園の土が、プロ野球と高校球児をつなぎ、過去と未来をつなぎ、夢もつなぐ……聖地の土は決して「たかが土」ではないのです。