台湾元総統・李登輝氏が死去~台湾大地震時も見えた民衆からの熱狂的支持

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台湾の李登輝元総統が30日死去したことを、入院していた病院が発表した。97歳だった。

台湾元総統・李登輝氏が死去~台湾大地震時も見えた民衆からの熱狂的支持

李登輝総統就任式典 あいさつする台湾の李登輝総統  撮影日:1996年05月20日 撮影場所:台湾  桃園県立体育館 写真提供:産経新聞社

キャスターの辛坊治郎は7月30日、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演し、台湾の李登輝元総統について、台湾大地震の取材時の思い出とともに振り返っていた。

辛坊)私は李登輝さんには若干の思い出があります。1999年の台湾大地震……私は阪神大震災のあとの数年後だったため戦慄を覚えて、発生直後に台湾に取材に入りました。そこでものすごい苦労をして、激震地の台中まで行きました。その台中の激震地の田舎町に行き、地震の起きた翌日に交通が遮断がされていてどうにもならない、余震であちらこちらから物が崩れ落ちてくるような恐ろしい現場に入りました。そこで取材をしていたその日の午前中に、町の目抜き通りのような場所で人だかりができたのです。なんだろう?と思って見ると、その中心にいたのが李登輝さんだったのです。すごい人気だな!と思いました。

台湾元総統・李登輝氏が死去~台湾大地震時も見えた民衆からの熱狂的支持

台湾大地震 李登輝総統がマンション倒壊現場を視察 =台中県大里市 撮影日:1999年09月24日 写真提供:産経新聞社

李登輝さんという方を説明しましょう。台湾の成り立ちですが、第二次世界大戦がおわったあと、中国共産党と戦っていた中国国民党が逃げてきました。中国から逃げてきた中国国民党が、もともといた台湾の人たちを抑圧する形。台湾の人たちからすれば、いままでは日本の植民地でした。しかし、植民地でなくなった途端に中国から蔣介石一派がやってきたのです。この統治が、日本の統治よりもひどい弾圧でえらい目にあわされたというのが、中国国民党のルーツにあるわけです。台湾のもともとの原住民のみなさんには、中国国民党は過酷で評判が悪く、なんとか開城しなければならないとなり、副総統のようなポジションとして李登輝さんを連れてきました。しかし、トップがたくさん亡くなってしまい、李登輝さんが総統になりました。ですので、台湾のルーツを持つ、最初の総統でして、熱狂的な台湾の皆さんからの支持があります。

いまはどちらかというと、中国国民党は中国共産党にすり寄る形です。先ほど述べたようなルーツを持っているので、どうしてなのだろうかという方もいらっしゃると思いますが、現状では中国共産党に密接な関係があるのです。そうした中国国民党の総統だったのですが、この李登輝さんは別なのです。だから、中国共産党からするとこの李登輝さんが本当に目障りで仕方がないのです。そのため、病気が悪化されたときに彼が日本で治療を受けたいと言いましたら、日本政府は中国共産党に配慮して受け入れない、というやり取りが何度もありました。

李登輝さんは京都大学を卒業されていて、日本語が堪能な方です。

台湾大地震のときに、民衆に取り囲まれていた。地震の翌日に、危険な激震地の目抜き通りを歩いている。そこで、私は走っていき、「李登輝さん!」と声をかけようと思いましたが、その勇気がありませんでした。

番組情報

辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!

月~木曜日 15時30分~17時30分 

番組HP

辛坊治郎さんが政治・経済・文化・社会・芸能まで、きょう一日のニュースの中から独自の視点でズームし、いま一番気になる話題を忖度なく語るニュース解説番組です。
[アシスタント]増山さやかアナウンサー(月曜日~木曜日)、飯田浩司アナウンサー(木曜日のみ)

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